日本人で初めて日本代表とオリンピック代表(現U-21代表)を率いる森保一兼任監督(50)が3日、A代表としては初の練習を札幌市内で行った。初の訓示は1分54秒と端的にまとめ「チームのために走って戦える選手」を招集の基準に設定。自身の現役時代と同様、献身的な姿勢を求めた。

<98年以降の日本代表監督の初日>

◆トルシエ監督(98年10月4日) 選手取材を禁止し、自身もテレビ1局の取材しか応じず。厳しい情報管理体制を敷いた

◆ジーコ監督(02年10月14日) いきなり30分ハーフの紅白戦を決行。主力組に中田英、中村俊、小野、稲本の「黄金の中盤」を据えた。「自分の言葉と判断で話をしなさい」

◆オシム監督(06年8月6日) 練習試合を組んだ。選手には4トップを命じ、対戦相手に守備的な布陣を要請して、対応力をチェック。「ここは軍隊じゃない。命令など出しません」

◆岡田監督(07年12月19日) 大学生と35分×4本の練習試合を行った。ミーティングでは世界3位の目標を掲げ「アジア勢最高の成績を目指そう。ワールドカップ(W杯)では韓国が4位に入っているから、それ以上を狙う。自信はある」

◆ザッケローニ監督(10年9月2日) グラウンドには入らず、スタンドから約1時間半の練習を見守った。「俺はこれから日本に住む。君たちが代表から帰っても、練習でも試合でも毎日君たちのプレーをチェックする。気合を入れてやれ」

◆アギーレ監督(14年9月1日) サッカーテニス約20分など軽め。「目標はW杯ロシア大会に行くことだ。まずは(翌年1月のアジア杯で)日本がアジアNO・1であることを証明しよう」

◆ハリルホジッチ監督(15年3月23日) 26分間ランニングで終了。指揮官は1周約300メートルのピッチの周囲を約13分間先頭に立って走った。

◆西野監督(18年5月21日) 本田、香川ら海外組10人のみで始動。ポリバレントの大事さを強調し「複数のポジションをこなせることは大事なこと」。