日本代表MF柴崎岳(26=ヘタフェ)がレジェンドの魂を受け継ぐ。アジア杯UAE大会(来年1月5日開幕)に臨む森保ジャパンの千葉合宿が27日、2日目を迎え、柴崎が合流。その練習中に、鹿島アントラーズ時代の先輩だったMF小笠原満男(39)の引退が発表された。鹿島で6年間、同じボランチで学んだ“お手本”。04年アジア杯を制した小笠原と同様、自身も優勝を目指す。

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柴崎が心から小笠原に敬意を表した。代表合流初日の取材エリア。1問目から引退について聞かれ「そこからですか」と苦笑いしたものの、それだけのニュースと理解していた。「驚いたけど、元チームメートとして、同じ東北人として『本当にお疲れさまでした』と言いたい。膝のけがが悪化したのかな。とにかく満男さんの考えを尊重したい」と丁寧に受け答えした。

憧れだった。小学生のころ小笠原のリストバンドを着けて練習。初めて見た02年ワールドカップ(W杯)日韓大会では、好きだった鹿島所属の代表として小笠原が躍動していた。「自分にとってアイドルのような存在。後に、同じチームで(ダブルボランチの)隣でプレーするようになって。多くは語らない人だったけど、得るものはたくさんあった」と懐かしむ。

常に壁であり、手本だった。青森山田高から鹿島入団を決めた理由は「(小笠原がいて)試合に出られないから。多くを学べる」だった。プロ初先発の11年6月18日J1磐田戦は小笠原の代役。翌12年から中盤の底で並ぶようになると、在籍6年間で5つのタイトルを獲得した。一番の思い出を聞かれると「たくさんありすぎて…」と言葉に詰まったが「試合や練習で空気を察するのが上手だった。緩い雰囲気に人一倍早く気付いていた記憶がある」。かつて小笠原がそうだったように、柴崎も森保ジャパンに言うべきことを言う。

小笠原は04年アジア杯中国大会で日本の2連覇に貢献。鹿島の系譜、常勝軍団のDNAを継ぐ男として再現が期待される。「優勝するしかないし、優勝しか見えていない。その自信はあるし、決意も固めてきた。アジアNO・1を勝ち取りに行きたい」。そのアジア杯は前回15年のオーストラリア大会に続き2度目の出場。準々決勝UAE戦で得点したが、PK戦の末に敗れた。「アジアの難しさは分かっているつもり。柔軟な対応力が必要」。鹿島時代は小笠原の後継者と呼ばれたが、代表では自らの力で頂点に導く。【木下淳】