いざ、夢舞台へ-。スペイン1部は11日(日本時間12日)に開幕する。昨季2部で優勝して1部昇格を決めたウエスカFW岡崎慎司(34)が、日刊スポーツのインタビューに応じた。 イングランド、ドイツに続き、欧州4大リーグの3つの1部リーグでプレーするのは日本人初の快挙。MF久保建英(19)が所属するビリャレアルとの13日(日本時間14日)の初陣を前に語った過去、現在、未来への思いを「FW岡崎慎司 リスタート」と題し、3回にわたって掲載する。【取材・構成=浜本卓也】

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19年6月、岡崎はブラジルにいた。日本代表として南米選手権(コパ・アメリカ)に出場し、2分け1敗で1次リーグ敗退。岡崎も18年ワールドカップ(W杯)ロシア大会以来の代表戦ピッチに立ったが3戦無得点に終わった。だが手にした悔しさの中に、大きな希望がまじっていた。

岡崎 あそこ(日本代表)でプレーをすることが幸せなことだと思えたし、FWとして僕がリスタートって気持ちでやる、最初の手応えをつかめたのがあの大会だった。ゴールは取れなかったけど、このレベルでもまだまだ自分のストライカー像を貫けると思った。そこはありがたかった。コパは自分にとって分岐点だと思います。森保さん(監督)が呼んでくれたのも自分にとって大きかった。

レスターを退団し、新天地が正式決定しない状況下で、自身の現在地と自信を持って進むべき未来を確認できた。歴代4位の119試合に出場し、同3位の50得点を挙げ、熱い思いを注ぎ続ける日の丸のユニホームを着たからこそだった。

岡崎 今は呼ばれてないですけど、日本代表はすごく価値があるものだとずっと思っている。でも、そこに合わせたことは1回もない。どこにいようとも、自分のプレーにこだわって、それが必要だと思われたら自然に呼ばれるものだと思っている。代表って合わせるものじゃない。そこが僕は重要だと思っているんです。代表に残るために出場機会を増やせるような場(所属先)に行きたいとかは一切なくて、挑戦している自分が代表に行った時に代表が強くなると思っている。そういう貪欲な選手の集まりが日本代表だと思っている。頑張れば確実に呼ばれると思ってプレーしています。

174センチ・76キロ。恵まれているとは言えない体格で、日本代表でも所属クラブでも大柄な世界のDF陣と激しく渡り合ってきた。繊細かつ不器用で、勝負師としては時に周囲が気をもむほど優しい心根を持つ岡崎が恐怖や不安を乗り越えて敵のゴールを奪うには、サッカー人として愚直なほどの「覚悟」が必要だった。

岡崎 厳しい状況を受け止めるには、それなりの覚悟が必要だと思っている。いろいろなことをして、いろいろなことに少しずつ満足していたら、その分サッカーの貪欲さって絶対半減するとおれは思うんです。ピッチ外で発信することに恥ずかしさを持つぐらいのサッカー選手としてのプライドを持っていないと、おれはサッカー選手としてはとか言えないんじゃないかって心の中で思ってます。真面目かもしれないけど。今はサッカー選手として全部を受け止める覚悟がある。トップでやれている感覚がなくなっていけば、このプライドがなくなっていけば、終わりかなと思います。サッカー選手としてすべてを背負う気持ちがなくなれば、いつでもサッカーを辞めようって思えるところまで来ているかもしれない。だからウッチー(元鹿島DF内田篤人さん)が引退したのもすごく気持ちが分かるというか。今僕がもう100%でできないって体だったらすぐ辞めようかなと思います。今だったら。

周囲の協力の下、ただ貪欲に、サッカーにすべてを注いだからこそ手にできた、スペイン1部の夢舞台。そこは、ロシアの地でW杯を共に戦った友と3年前から交わしてきた“約束”を果たす場所でもあった。

◆岡崎慎司(おかざき・しんじ)1986年(昭61)4月16日、兵庫・宝塚市生まれ。滝川二高から05年清水入団。08年北京五輪に出場し同9月にA代表初選出。11年にブンデスリーガ1部シュツットガルトに移籍。マインツを経て15年にプレミアリーグのレスターに。昨季はスペイン2部のマラガ移籍も登録問題で契約解除。ウエスカに入団し、12得点を挙げ、1部昇格の立役者に。W杯は10年南ア、14年ブラジル、18年ロシア大会に出場。国際Aマッチ119試合出場、50得点。174センチ、76キロ。