日本サッカー協会は25日、6月の国際親善試合エルサルバドル戦(15日、豊田)とペルー戦(20日、パナスタ)に臨む日本代表に三笘薫(ブライトン)久保建英(レアル・ソシエダード)ら26人を選んだ。

京都サンガのU-22代表MF川崎颯太(21)は初招集。関西の難関私大、立命館大に在学(4年)する文武両道ボランチは、パリ五輪世代。初のA代表で知性を光らせる。

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立命大産業社会学部4年生のニューフェース、川崎の取材対応は、授業の合間に大学キャンパスからという異例のものだった。

「『代表に選ばれたらこいつ来ないんだな』と思われても嫌なので」

いつも通り授業に出て、教室で友人から祝福の拍手を受けた。今回のメンバーで最年少。「評価してくれた方々や、サポーターの期待を背負って、思いっきり自分らしさを出していきたい」と意気込んだ。

今季は14試合1得点。リーグ全体でタックル数5位、こぼれ球奪取数7位、総走行距離が6位という数字を残し、豊富な運動量を武器に球際で勝負強さを発揮している。森保監督は「五輪チームでもレギュラークラスとしてプレーしていて、A代表の戦力としても可能性がある選手だと思っている」と評価した。

楽しみにするのは、尊敬するMF遠藤とのプレー。遠藤も湘南時代、曹貴裁監督の指導を受けており、今、川崎は同監督のもとプレーする。「デュエルのところや予測した守備が自分一番の特長。デュエルの部分をもっと伸ばすためにも、吸収していきたい」。目標としてきた選手から学べる機会を、成長のチャンスと捉えている。

学んで成長することは、最年少ながら、最も得意とする選手かもしれない。京都の産学一体の育成システム「スカラーアスリートプロジェクト(SAP)」13期生として京都U-18に加入し、高校は進学校の立命館宇治に通った。

当時SAP生の担当をした山本清之教諭(62)によると、「進学校の中でも常に上位10パーセントに入るトップ層だった。試験前になると、問題の解き方を聞くために、彼の周りには人だかりができていた」と明かす。

今も学び続ける川崎本人に、学習へのモチベーションを聞いてみると、「自分としても学ぶことはめちゃくちゃ好きなこと。勉強するとか大学に行くのは苦痛ではなくて、楽しみなこと」と言ってのけた。

山本教諭は、川崎が多忙ながら好成績を維持した秘密について「予習をしっかりして、授業ですべて理解しようとしていた」と振り返る。川崎は、来月の代表活動に向け「自分の価値を示さなければ意味がない」と強い気持ちで臨み、効率の良い予習力と、現場での吸収力で、代表デビューを引き寄せる。【永田淳】

▽川崎颯太(かわさき・そうた)

◆生まれ 2001年(平13)7月30日、山梨県甲府市。21歳。172センチ、70キロ。

◆京都は高校から 中学までは山梨・甲府のアカデミーでプレー。京都の「スカラーアスリートプロジェクト(SAP)」生として、京都U-18に加入した。SAP出身選手の代表選出は、11年の久保裕也(シンシナティ)以来。

◆若き主将 20年にトップ昇格。同8月19日の新潟戦でリーグ戦デビュー。J1通算42試合出場、2得点。21歳ながら、京都では今季から主将を任される。

◆世代別代表 U-18から世代別代表でプレーし、パリ五輪世代のU-22代表にも選出されている。

◆久保と同級生 01年生まれの久保とは同学年だが、久保は6月、川崎は7月生まれで最年少。「ため口で話すのもおこがましいぐらいだけど、スペインで発揮しているパフォーマンスは本当に素晴らしいものだと思うし、同級生であのパフォーマンスをしているのは刺激になる」。

◆文武両道 小中学校は国立山梨大学の付属、高校は立命館宇治で学んだ。文化祭の劇では主役を務めた。現在、立命館大4年(産業社会学部)の卒論テーマは「サッカークラブと地域社会、地域貢献」の予定。

 

<文武両道だった日本代表>岡田武史元日本代表監督は大阪有数の進学校である天王寺高出身。早大から古河電工に入団し、80~85年に国際Aマッチ通算24試合1得点。G大阪で活躍したMF橋本英郎も天王寺高出身。文武両道を貫き、G大阪ユースでプレーしながら一般入試で大阪市大に進学して卒業した。日本代表では07~15年に通算15試合出場。MF広山望は習志野高で学年トップの成績を残し、96年に千葉大教育学部に推薦入学。同時に市原(現千葉)に加入し、初の国立大Jリーガーとして注目を集めた。日本代表では01~03年に2試合出場。DF宮本恒靖は95年にG大阪ユースからトップ昇格し、生野高から同大に進学。00~06年に国際Aマッチ通算71試合3得点。現役引退後は国際サッカー連盟運営の大学院(FIFAマスター)に留学し、日本人元プロ選手として初めて卒業。