<女子W杯:日本2-2(PK3-1)米国>◇決勝◇17日◇ドイツ・フランクフルト

 表彰台で頼もしい仲間に囲まれ、金色に輝く女子W杯を思い切り突き上げた。「長い道のりだったが、やり続けてよかった。苦しい時代を知っているだけに、誰よりうれしい」と満面の笑みを浮かべた。15歳で代表デビューしてから18年目。32歳の主将、MF沢穂希が世界の頂点に立った。

 延長前半に2点目を失い、追い込まれた延長後半12分だった。宮間あやの左CKに対して近いサイドに走り、右足外側で巧みに合わせてネットを揺らした。男女を通じて日本代表最多得点記録を「80」に更新。執念でPK戦に持ち込んだ。

 米国のプロリーグに参戦するなど、不遇の時代も道を切り開き続けたエースだ。そんな沢が6月8日の代表選手発表の際に「サッカー人生の集大成としてメダルを取りたい。この21人で駄目なら取れないかも」と自信を示した。仲間への厚い信頼が根拠だった。

 4強入りを目指した2008年北京五輪は4位。約1年後、沢を中心に代表候補約60人が話し合い「世界の頂点を狙う」と誓った。宮間と大野忍は「特定の人に頼っていたら駄目だよね」とよく話すという。“沢頼り”からの脱却も含め、高い意識を持ち続けた後輩が成長した。

 念願の表彰台を懸けた準決勝が象徴的だった。沢のパスミスから先制されたが、仲間は逆転を疑わなかった。沢は「若い子が冷静で、私が一番焦っていた」と苦笑い。チームを長年支えるスタッフは「昔は沢が1人だけ前にいた。今は先頭の沢をすぐ後ろでみんなが押している」と表現した。もう北京五輪の時のように、沢が「苦しくなったら私の背中を見て」と言う必要はない。献身の年月が報われた。

 初めてW杯でプレーした16年前、米国に勝つことも決勝進出も夢物語だった。「メダルの重みは誰よりも分かっているから楽しめる。最高の舞台で、最高の仲間と戦えるのは幸せ」と言って臨んだ舞台は、結末も最高だった。大会のMVPと得点王も獲得。まさに沢のためのW杯になった。「サッカーの神様はいた。最高です」。フランクフルトの夜に、一瞬の涙よりも喜びの笑顔がはじけた。