ザックジャパンが、サッカー仲間のため、一肌脱ぐ。今年初戦となる2月6日のラトビア戦会場(ホームズスタジアム神戸)で、昨年末に上咽頭(じょういんとう)がんを告白したフットサル元日本代表・鈴村拓也(34=デウソン神戸)のために募金活動を行うことが22日、分かった。日本協会が代表戦の会場で、個人のための募金活動を許可するのは極めて珍しい。復帰に向けて病魔と闘う鈴村には、大きな後押しとなりそうだ。

 がんばれ!

 鈴村!

 5大会連続W杯出場に向け、大事な調整試合となる今年の初戦。その会場で、サッカー仲間たちの固い絆が証明される。日本協会は今月の理事会で、ラトビア戦での募金活動実施を承認した。日本協会関係者によると「過去に、代表戦の会場で、個人のための募金をしたことは記憶にない」という。個人向けの募金のため、大々的には行わず、会場内に設けられるデウソン神戸の出店ブースの一角で実施する。

 鈴村は昨年12月、Fリーグの試合会場で、上咽頭がんであることを告白した。自分の意思で、試合後にコートの真ん中に立ち、マイクを握り、治療のため長期休養に入ることを、ファンに報告した。3歳の愛娘の手を握り「必ずまた戻ってくる」と涙ながら、ファンと家族に約束した。

 現在、神戸市内の病院に入院し、闘病生活を送っている。抗がん剤と放射線治療を受け、復帰に向けて必死にもがき苦しんでいる。昨年末には、右大腿(だいたい)骨骨肉腫で、10年3月に人工関節への置換手術を受けた元大宮DF塚本泰史氏が見舞うなど、サッカー仲間からの激励も、復帰への大きな力だ。

 かつては、サッカー選手として代表入りを夢見た。四日市中央工時代には、U-15(15歳以下)、U-17サッカー日本代表候補にも選出された。97年にJリーグ神戸に入団したが、ケガなどもあり、2年で退団した。その後、フットサルに挑戦し、00年にはフットサル日本代表に選ばれ、日の丸を胸に、06年にはアジア選手権初優勝に貢献した。

 フットサルの環境は、Jリーグとは違って、あまり恵まれていない。鈴村は、デウソン神戸の親会社が経営するフットサルコートで指導員として給料をもらう、アマチュア契約選手だ。まだ復帰のめどは立たず、その保証もない。それでも、がんを告白した時に強く抱きしめた娘の笑顔を取り戻すため、必死でがんと闘う。【盧載鎭】

 ◆鈴村拓也(すずむら・たくや)1978年(昭53)9月13日、名古屋市生まれ。三重・四日市中央工では選手権出場。97~98年Jリーグ神戸所属。00年から神戸ハーバーランド・クラブでフットサルを始める。05年からバルガスなどスペインリーグで活躍。09年からデウソン神戸在籍。175センチ、75キロ。夫人と1女。