「ドーハの悲劇」から20年を迎えた13年10月28日。当時、日本代表の司令塔で現ビーチサッカー日本代表監督を務めるラモス瑠偉氏(56)が、ザックジャパンに強烈な活を入れた。この日、東京・文京区の日本協会を訪れ、8強入りした9月のビーチサッカーW杯タヒチ大会について報告。誰よりも日本代表を愛する男は「今の代表からは日の丸の重み、名誉が伝わらない!」とげきを飛ばした。

 93年10月28日、ドーハ。W杯アジア最終予選イラク戦。当時、日本代表がW杯目前まで迫り、そして散った。日本サッカーの歴史的な1日から、この日で20年。「もう引きずってはないけどね」。ラモス氏は記憶をたぐり、思いを巡らせた。

 ラモス氏

 あの年は、まずはJリーグ開幕戦。その方が忘れない思い出。でも、今日は朝から振り返りました。ドーハに入った時の暑さ。イラク戦の印象的な(終盤の失点)シーン。初めて頭が真っ白になったという意味が分かった。ただ、あの時のメンバーは侍だった。ドーハの暑さの中、12日間で5試合を戦った。

 目を細め、当時を振り返る。ブラジル生まれながら、日本国籍を取得してまでこだわった日の丸への強い思い入れ。当時より、今の日本代表のメンバーは技術も経験も豊富なことも分かっている。だが、日本代表への強烈な愛を抱く男にとって、まだまだ物足りなかった。

 ラモス氏

 (日本代表には)全員の選手に100%でプレーして欲しい。もっと(アジアでは)楽に勝って欲しい。力を持っているのに「ここで死んでもいい」くらいでやっていない。今はW杯に出て当たり前だから。日の丸の重み、名誉が伝わらない。1人ずつの力はあるのに出し切っていない。理由は分からない。

 来年のW杯ブラジル大会を見据え、強化の真っ最中のザックジャパン。10月の東欧遠征では、実力はあるがW杯出場を逃したセルビア、ベラルーシに良いところなく敗れた。淡泊に映るプレー。そこに満足感など得られるはずがなかった。

 「日の丸を見ただけで鳥肌を立てるような選手が足りない。今の日本代表で、23人の中で11人か12人くらいじゃないか。日本代表は特別なんだよ!」。日本の背番号10を、何より日の丸を背負った誇りを胸に語ったラモス氏の言葉は、日本代表への強烈な「熱」が込められていた。【菅家大輔】

 ◆ドーハの悲劇

 93年10月28日にカタール・ドーハで行われた94年米国W杯アジア最終予選の最終戦。イラクに勝てば自力でW杯初出場が決まる日本は、カズと中山の得点で1点リードした。ところが後半ロスタイム、セットプレーからの失点で2-2で試合終了。この結果、サウジアラビア、韓国に抜かれて3位に転落し、初出場が夢と消えた。試合後ピッチに座り込む選手たちを、オフト監督がねぎらいながら立ち上がらせる姿が哀愁を誘った。