名古屋を退団した元日本代表DF田中マルクス闘莉王(34)が14日、愛知・中部国際空港から故郷ブラジルに向かった。同国のクラブからオファーが届いており、新天地はブラジルとなる見込み。同日までに日刊スポーツのインタビューに応じ、胸の内を語った。16歳での来日から18年。その間、日本国籍も取得し日本代表としてW杯にも出場した。複雑な思いや感謝とともに、再び日本でプレーし恩返ししたい意向も明かした。

 闘莉王は故郷で新たな1歩を踏み出そうとしている。昨季終了までは、もう1年名古屋でプレーするつもりでいた。だが、ゼネラルマネジャーも兼務する小倉新監督が絶大な権力を握った新体制とのビジョンが一致せず、追われるように退団。2日に再来日し、静かに6年間暮らした一軒家の整理を進めた。だが、心の整理はまだ。沖縄でキャンプ中だった名古屋のチーム本隊が愛知に戻るのを待たずの離日。チーム作りが遅々として進まず、混乱の中にいる仲間と会えばこらえ切れなくなるからだった。

 「複雑ですよ。今、自分でも整理がついていないです。何とも言えない。いろいろありますよ。感謝の気持ちもたくさんあるし、逆に、こうなるなんて想像していなかったから、大丈夫なのかと不安なところもたくさんある。まだやれるという悔しさもあるし、このタイミングで離れていかなきゃいけない寂しさもある。複雑ですよ。何より、サポーターにちゃんとあいさつもできなかった。残していく仲間たちがこれから苦しんだらどうしよう、ナラさん(楢崎正剛)やスタッフ、裏方たちが悲しそうにしているのを見たら、自分は多分、こらえ切れないくらいの心の痛みが出てくるんじゃないか」

 ピッチ上では、勝利のために周囲を鼓舞し、怒鳴り声をあげることもあった。だが、普段は繊細で仲間への気遣いを忘れない義理堅い男。ひとつの思いを胸に、来日から18年。日本を代表する選手として、大きな成功を手にした。

 「正直、日本でこんなできるとは思ってなかったし、ここまで登ってこられる形も想像していなかった。自分は、こうなりたいとか、ああしたいとか、想像する人じゃない。今日できることをしようじゃないかという生き方でやってきた。とにかく今を生きようと。3月で(初来日から)19年になるんですけど、来た時から変わっていない。明日のことを考える余裕がないから、今日を生きるために何をすべきかでやってきたから、ここまでこられるとは、まったく、夢にも思わなかった」

 とにかく必死でやってきた。積み重ねてきたものは浦和でのACL制覇、名古屋も含め2クラブでのJリーグ制覇、JリーグMVPと10年W杯南アフリカ大会での決勝トーナメント進出など日本のサッカー史に幾つもの栄光を刻んできた。ただタイトルや記録より、記憶や人が財産だという。最高の笑顔で明かした。

 「うれしいことに岡田さん(岡田武史氏)から電話をもらった。お前やめんのか? って。いや、まだですと言ったら、まだ早いよ、まだできんじゃないかって。うれしかったですよ。久々に話せたので。なんかあったら電話くれよ。ハイ。また電話しますって。これはお金では買えないもの。ずっと、やってきたことがクリーンだったからこそ。ぶつかり合うこともあったけど、それ以上のことをこっちから伝えたし、伝えてもらったからだと思う」

 人を大切にする。だからこそ、名古屋と日本のサポーターに対面で正式なあいさつなしで区切りとしてしまったことを悔やみ、責任を感じている。

 「非常に悔しいし、失礼なことをしてしまったと思っています。キチンと感謝の気持ちを伝えて、話すことができなかった。特に名古屋のサポーターには、本当に6年間幸せだったと伝えたい。1度しかタイトル取れなかったので、本当に申し訳なく思っている。俺はタイトル取るために来た人だと思っているから。最後の方はふがいない成績だったし。でも、精いっぱいやったし、一瞬たりとも妥協することなく6年間やったと胸を張って言える。1年くらいブラジルに戻って、本場のプレーを肌で感じてくる。どんな形ででも帰って来て、この日本でやってきた人生への感謝、自分の日本に対する感謝を、どんな形が一番いいか考えて伝えに帰ってきたい」

 プレーで恩返しするのが一番だと伝えると、静かにうなずいた。まだ、日本で闘う姿を示す気でいる。

 「そうですね。これで終わりという感じでは思ってほしくない。また1年後には帰って来られるように。俺もひと皮むけた姿じゃなきゃ、やらない。(他の選手と)違いが見せられるような状況、どんな難しい試合でも、自分の力で勝ち試合にできるというくらいの違いをみせられるようなサッカー選手でいれば、サッカー選手として帰って来たい。それができんかったら、ただ帰って来て、ちゃんとあいさつくらいはしますけど(笑い)。俺の、自分自身へのプレッシャー、自分に対する厳しさが許してくれないのでね。ちゃんと違いがみせられるようなサッカー選手でいれば、来年帰って来たいとは思います」

 旅立つ際のあいさつは、サヨウナラではなく「じゃあ、また」だった。闘莉王はブラジルに修行に出掛けていった。【取材・構成=八反誠】

 ◆田中マルクス闘莉王(マルクス闘莉王ユウジ・ムルザニ田中)1981年4月24日、ブラジル・サンパウロ州パルメイラ・ド・オエステ生まれ。父は日系人、母はイタリア系ブラジル人。98年に千葉・渋谷幕張高に留学、01年に祖父の出身地だった広島に入団。03年にJ2水戸へ期限付き移籍し、同10月に日本国籍取得。04年から浦和、10年から昨季までは名古屋でプレーした。J1通算388試合75得点。J2通算42試合10得点。06年JリーグMVP、04~12年ベスト11。04年アテネ五輪出場。オシムジャパンの06年8月9日、トリニダード・トバゴ戦でA代表デビュー。10年W杯南アフリカ大会で全4試合にフル出場し、16強入りに貢献。国際Aマッチ43試合8得点。185センチ、82キロ。