第1ステージ優勝を置きみやげに、また功労者がチームを去る。鹿島の元日本代表DF青木剛(33)が福岡戦を最後に鳥栖へ完全移籍。16年目、クラブ現役3位の通算376試合に出場した守備職人が後半ロスタイムから出場し、日刊スポーツに惜別メッセージを寄せた。

<惜別メッセージ>

 ベンチで「青木」コールを聞いた時、グッとくるものがありました。出た時は勝って終わらせることだけ考えていたけど、ピッチに石井監督と握手してから入った時に「これで最後か」と。最後、サポーター席に招いてもらい「アントラーズと出会えて幸せでした」と感謝しました。本当にありがとうございます。鹿島と皆さんが大好きでした。

 正式オファーをいただいたのは先週。鹿島でサッカー人生を全うしたい。新天地で自分の力を試したい。2つの思いで葛藤しましたが、選手として幅を広げ、人としても成長するために新たな挑戦を選びました。

 01年に入団してから10度のタイトル(リーグ4度、ナビスコ杯4度、天皇杯2度)に恵まれました。すべてに全力だったので最高の試合は挙げられませんが、2年前(14年4月19日)の神戸戦では、自分がハンドでPKを与えて退場した後に逆転負けしました。サッカーを続けてもいいのか、練習場に行く資格があるのか、本気でやめた方がいいんじゃないか。悩み、苦しみました。でも、ファンが応援してくれて心に響いたことは今でも忘れません。

 初めての移籍ですが、相談した人は誰1人、反対しませんでした。老け込むには、まだ早いと。気付けば年上は(小笠原)満男さんと曽ケ端さんだけ。岩政さんが移籍し、中田さんが引退し、自分も移籍となりますが、今は新たな経験をしたい意欲の方が強いです。

 月曜日に出発します。優勝まで鹿島の一員と思っていたので、まだ荷造りはしていません。新しい人と出会えば新しい自分とも出会える。成長してカシマに帰って来ます。(鹿島DF)

 ◆青木剛(あおき・たけし)1982年(昭57)9月28日、群馬県高崎市生まれ。前橋育英高から01年に鹿島入り。Jリーグ16クラブが争奪戦を繰り広げた。高卒1年目の3月17日東京V戦でデビュー。01年ワールドユース(現U-20W杯)にも出場。04年アテネ五輪予選で主将を務めたが、本大会は落選。J1通算375試合8得点。日本代表は国際Aマッチ2試合無得点。家族は夫人と3男。183センチ、75キロ。血液型O。