かつてのストライカーが15年ぶりに指導者として帰ってきた。今季からアルビレックス新潟の下部組織、新潟U-15のコーチに、J2時代の01、02年にFWで活躍した氏原良二氏(35)が就任し、後進の育成に尽力している。01年には41試合で15得点、U-20日本代表候補にも選ばれるなど、気持ちを前面に出したプレーでチーム随一の人気を誇った。愛着のある新潟に、指導者として経験値の還元を決意した胸中を聞いた。【聞き手・斎藤慎一郎】

 練習中に選手たちに掛ける声は大きく、口調ははっきりし、力強い。氏原コーチは現役時代と同じ快活さで、新潟U-15のコーチとして3月から本格的に指導を始めている。

 1日、J1新潟のホームG大阪戦の試合開始前、下部組織の全選手、全スタッフとともにデンカビッグスワンスタジアムでサポーターにあいさつした。スタンドからは大きな氏原コールと、選手時代の応援歌の合唱が起きた。

 J2時代の01年に名古屋から期限付き移籍。02年まで2季通算で、75試合に出場し20得点をマークした。03年に名古屋に復帰し、同年の新潟のJ1昇格決定時は不在だったが、礎を築いた主力の1人だった。15年ぶりに指導者として復帰した新潟で「恩返しがしたい」と言う。

 -新潟U-15の中での担当は

 氏原(以下、敬称略) U-13、学年でいえば、中学1年生の指導です。現役引退後、名古屋でスクールとジュニアユースのコーチをしていました。その経験があるので、新潟でも違和感はないです。

 -小学生が中学生になるという大きな変化がある年代の指導で、気をつけていることは

 氏原 肉体的にも技術的にも成長期に入ってきた選手と、まだその前の選手が入り交じっています。身に付けなければならない技術を教えるとともに、サッカーとはどういうことをするものなのかを知ってもらうことが大切です。

 -02年以来、15年ぶりに新潟に戻ってきた

 氏原 現役時代、新潟を離れた後も、もう1度プレーしたいとずっと思っていました。10年に引退して指導者になってからも機会があれば関わりたいなと。今回、神田(勝男)強化部長(50)から下部組織のスタッフのお話をいただいたときは即答でした。新潟で仕事ができるということがうれしかった。

 -それほど愛着が強かった

 氏原 選手時代は名古屋から期限付き移籍でしたので契約もあって2年で戻らなければなりませんでした。個人的には新潟に残りたかった。2年間、昇格争いをしていたときの緊張感とサポーターの熱い声援は忘れられなかった。もっと活躍したいと思っていました。

 -新潟で01年に15得点、02年は右足首のケガもあり5得点だったが34試合に出場。2季の感想は

 氏原 試合ごとにお客さんが増えていった。その中でのプレーは刺激的でした。特にゴールを決めたときの大歓声は。そんな瞬間を味わうたびに、プロとして、応援してくれる人のためにプレーしなければならないんだなと、感謝の気持ちの大切さを知りました。

 -選手としてのターニングポイントだった

 氏原 もし、新潟に来ていなかったら、ここまでサッカーに関わっていたか分からないです。今もサッカーが好きで、指導者になろうと思ったのも、あの濃い2年間があったからです。

 -将来の夢は

 氏原 やはりJリーグの監督をやりたいですね。その前に、しっかりと新潟で後進を育てたいです。それが恩返しと思っています。

 ◆氏原良二(うじはら・りょうじ)1981年(昭56)5月10日生まれ、香川県出身。00年、名古屋ユースから名古屋のトップチームに昇格。01年に新潟に期限付き移籍。03年に名古屋に復帰後、05年に鳥栖に完全移籍。その後、山形、草津に所属し、10年に引退。11年から13年まで名古屋のスクールコーチ、14年から16年は同U-15コーチを務めた。J1通算6試合出場無得点、J2通算177試合出場32得点。