川崎フロンターレの鬼木達監督(43)は、風間八宏前監督が浸透させた「技術を駆使した攻撃サッカー」に「勝利への執着心」を植え付け、就任1年目でタイトル獲得を成し遂げた。鬼木監督は「最後まで戦い、自分たちらしい形で点を取り続けてくれた」と選手に感謝し、優勝の味をかみしめた。

 攻守で圧倒する川崎Fらしいサッカーで逆転優勝をつかんだ。スコアも5-0。攻守に隙のないチームをつくり、来季も続投する鬼木監督は「最後、自分たちらしい形で点を取り続けてくれた」と振り返った。

 今年1月の就任直後から徹底してきたのは、球際の激しさと速い攻守の切り替え。「そこは理屈じゃない。攻撃だけでなく、守備で戦っている姿もスタジアムで見せないといけない」と攻撃時間を長くするため、いかに早くボールを奪取することが大切かを説いた。

 選手起用も明確だった。技術があっても、練習で戦う姿勢が見られない選手はピッチに立てなかった。今や欠かせない存在のMF家長も8月まで出場機会に恵まれなかった。37歳のベテランMF中村、主将のFW小林が必死に前線でプレスをかけ続ける姿は若手に響いていった。練習で守備の戻りが遅いと、先輩後輩かかわらず厳しい言葉が飛ぶ。昨季のチャンピオンシップ、天皇杯決勝で鹿島に2度敗れ「数センチの球際の勝負が勝敗を分ける」と痛感したからだった。DF奈良は「(戦うことを)やらないと出られないという雰囲気と、そこをみんなが高め合う雰囲気があった」と明かした。

 満を持して臨んだルヴァン杯決勝では攻撃の精彩を欠き0-2で涙をのんだ。小林は「風間さんのサッカーにオニさん(鬼木監督)のサッカーが加わって強くなったけど、風間さんのサッカーの質が1周しておろそかになっていた部分があった」と猛省。残り3試合に向け、チーム全員が再び風間前監督が徹底させた「蹴る・止める」の技術に向き合った。

 年間得点はリーグトップの71点。失点も32でクラブ最少失点記録を更新した。1年間で味わった2度の「銀」を糧に変えた逆転V。攻守で圧倒した1年の総決算として、サッカーの神様が最後にタイトルというご褒美を与えてくれた。【岩田千代巳】

 ◆川崎フロンターレ 前身は1955年創部の富士通サッカー部。97年にJリーグを目指してプロ化し、川崎フロンターレに改称した。99年にJ2で優勝してJ1初昇格を果たすが、1年でJ2へ降格。地域密着の経営方針に転換し、再昇格した05年以降はJ1に定着した。フロンターレはイタリア語で「正面の」などを意味し、常に最前線で挑戦し続け、正面から正々堂々と戦う姿勢を示す。本拠地は川崎市等々力陸上競技場。

<記録的優勝アラカルト>

 ▼最終節逆転V 2ステージ制だった15、16年を除き、現行の1シーズン34試合制で行われた05年以降では、05年のG大阪、07年の鹿島、13年の広島に次いで4年ぶり4度目。勝ち点2差を逆転しての優勝は13年の広島以来2度目。

 ▼最終節で初の首位 最終節を迎えるまで首位に立ったことはなく、最終節で初めて首位に浮上。第27節時に最大8差あった首位鹿島との勝ち点差を逆転。最終節で初めて首位に立って優勝は07年の鹿島以来10年ぶり2度目。