今季限りでの現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)が28日、ホームのカシマスタジアムで会見を行った。記録にも、記憶にも残る名選手。日刊スポーツの歴代担当記者がその人物像を描いた。

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小笠原が自ら報道陣に歩み寄ってきたことに衝撃を受けた。忘れもしない。東日本大震災が起きた3日後の11年3月14日、グラウンドが被災した鹿島が練習を再開した日だった。開口一番「メディアの方にお願いがあるんです」と切り出した。

甚大な被害を受けた岩手・大船渡市の大船渡高OB。深刻な表情のまま「なんとかして安否の情報を伝えてもらう方法はないでしょうか。避難所にいる方々の名前とか、リストを出してほしいんですよ。個人情報の問題とかもあるんでしょうが、なんとかならないでしょうか」。真っ赤に充血した目で訴える姿が、今でも印象に残っている。

日ごろサッカーの取材では多くを語らず、時にユーモアを交えて取材に応じる。これほど真剣で、冗舌な小笠原を初めて見たのだ。その後、言葉だけでなく「東北人魂を持つJ選手の会」を結成し、被災地支援活動を開始。今でも続けていると聞く。この熱い思いと行動力。個人的には将来、政治家になってサッカー界に貢献して欲しいと思っている。満男くん、私は真剣に思ってますよ。【11年鹿島担当=塩谷正人】