Jリーグも今年で28年目。過去の歴史をさかのぼると、驚きの出来事がありました。偉業、世界的な記録、珍事…数ある中から、えりすぐりの“すべらない話”をご紹介します。

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Jリーグ創設直後の草創期には、今では考えられない出来事が多かった。

開幕から1カ月も経たない93年6月9日、浦和レッズがやってしまった。鹿島アントラーズ戦の前半2分、エースFW福田がクラブ初の先制点を決めた。自身にとっても結婚後初ゴール。喜びが爆発した福田はベンチ前へダッシュし、チームメートもほぼ全員が祝福に駆けつけた。

その時だった。試合再開のホイッスルと同時に、鹿島イレブンは素早くリスタートした。浦和の選手らは懸命に自陣へ走るも、FW黒崎が同点弾を決めるまで、福田のゴールから1分にも満たなかった。負傷のため欠場したFW柱谷が言った「勝つことに慣れていない。サッカーを分かっていない」という言葉が、当時の状況を分かりやすく表している。

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同じ93年には、横浜マリノス(当時)も失点にまつわる失態を犯している。7月3日、対戦相手は浦和と同じく鹿島。前半18分にDF勝矢が治療を受けている折、MF木村和とMF水沼はスパイクを交換しようとピッチの外に出た。この時点でピッチ内は11人対8人。鹿島にこの隙を突かれ、あっという間に先制点を許してしまった。

カシマスタジアムの芝は当時35ミリで、国内では最も長かった。木村和らはポイント交換式スパイクを履いていたが、プレーしてみると芝の下の土が硬く、滑って足を取られた。慌てて固定式に履き替え、ピッチに戻ろうとしたら、プレーは続行中だった。「最低だね。なんで一度に出てしまったのかな」と木村和。主審にピッチへ戻る許可を得ようと必死に両手を振ったが、主審が気付いた時には遅かった。

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サッカーのルールが浸透してきた現在では、考えられないような失点の数々。これもJリーグ28年の歴史の一部だ。浦和、横浜Mともに、対戦相手は鹿島だった(得点者はいずれも黒崎)。一瞬の隙を突いて勝ちきる常勝軍団のスタイルもまた、28年の歴史とともに育まれてきたものだ。