全国高校選手権で準優勝した青森山田のDF藤原優大主将(3年)は、サッカーの申し子だ。U-18日本代表候補で卒業後にJ1浦和へ加入する新星は、02年6月29日、日韓W杯の3位決定戦、韓国-トルコが開催された日に3180グラムで藤原家の長男として誕生。サッカー好きで仙台ファンの父大輔(43)さんは「おなかにいるときに妻のおなかをよく蹴っていたので『この子はサッカー選手になるのかなぁ』なんて話をしてました」。出産予定日の同30日は大輔さんの誕生日かつW杯決勝、ドイツ-ブラジルが行われる日だったが、1日早く生を受けた。

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生まれたばかりの我が子と先に病室に戻った。藤原の父大輔さんは「2人で初対面したときに病室のテレビで3位決定戦が流れていました。本当はおやじと誕生日が同じだったのに、W杯の決勝の日ではなく3位決定戦の日で、間が悪いやつだなと思いました(笑い)」。幼少期は外で遊ぶのが楽しみで、性格は「明るいけど、どちらかというと引っ込み思案。今の姿から想像できないような感じで、ひょうひょうとしてマイペースでした」。6歳から青森・弘前市のリベロ津軽SCでサッカーを始めた。

中学では同チームのU-15でプレーする道もあったが、悩みに悩んで青森山田中に進学し、実家がある弘前から電車通学。高校からは寮暮らしで、大輔さんは「自分が高校生のときは親元を離れる選択肢はなかったですし、私は19歳の年で家を出て、そのときですら不安だった。うちの息子も含めて親元を離れて来る子どもたちは本当に尊敬ですよね」と語る。

4歳から小学6年まで父子でユアテックスタジアム仙台を訪れ、サッカー観戦が毎年の恒例行事。小学校低学年のときに「優大はプロになりたいの?」と聞くと「楽観的なわけでも力んでるわけでもなく『プロになるよ』と自然に言ってきました」。藤原は浦和加入で有言実行。弘前から2人目のJリーガーとなった。

大輔さんは驚きを隠せず「野球の方がさかんな土地柄だし、何百人、何千人と弘前のサッカー少年がなっていなかったので、うちの子がプロは…と心の中で思っていたので『本当になったわ』という感じで、信じられなかったです」。20年以上にわたる仙台一筋を貫きながら「赤い息子」を見守っていく。【山田愛斗】

◆藤原優大(ふじわら・ゆうだい)2002年(平14)6月29日生まれ、青森・弘前市出身。豊田小-青森山田中-青森山田。中2、中3で日本一、高1で選手権優勝、高2、高3で同準優勝。ポジションはセンターバック。利き足は右。子どもの頃から好きだったチームはベガルタ仙台。好きな選手はリバプールDFファンダイク。家族は父大輔さん、母みどりさん、青森山田中3年の大弥さん。180センチ、75キロ。血液型A。