柳想鉄(ユ・サンチョル)さんが亡くなった。7日、49年間の短くて太い人生を終えた。Kリーグ仁川の監督だった19年11月に膵臓(すいぞう)がんステージ4と判定され、闘病を続けたが、入院先で力尽きた。

柳さんは、横浜F・マリノスと柏レイソルでプレーし、J通算113試合出場44得点。韓国代表として94年から11年間、124試合出場18得点を記録した。日本が大好きで、闘病中の20年2月には「私の病気のことが日本にも報じられて、日本のサポーターから多くの心配の声が届いた。直接会って“心配しないで”と伝えたい」と来日し、横浜-G大阪戦(日産ス)の前にサポーターへ感謝の意を伝えた。

強靱(きょうじん)な体の持ち主だった。横浜在籍時の99年、柳さんがチームに合流して間もないころの話。マッサージ担当者が舌を巻いた。「うちのチームには井原さん、小村さん、城さん、川口さんとか、日本代表選手が多いけれど、柳さんは筋肉の作りは日本人選手とはまったく違う。繊維1本1本が太く感じるし、全体の筋量もぜんぜん違う。アジアの選手でこれだけの筋肉の選手は会ったことがない」。

恵まれた体の柳さんだが実は、体のハンディを隠して戦い続けた。高校2年時に相手のシュートが左目に当たって以降、左目の視力をほぼ失った。右目だけでプロになり、韓国代表にもなった。視力テストでは、右目で視力表全体の数字やマークなどを覚えて、左目の時にも答えたという。

柳さんは日本の生活に大満足だったが実は唯一、心配なことがあった。日本の豚カツが大好きで、毎日食べても飽きなかったという。そのせいで、体重が増え続けた。「やめたいけど、やめられない。日本の豚カツは世界で一番うまい食べ物だと思います」。豚カツ断ちできず、出した結論は「その分、走ろう」。ボランチとして抜群のスタミナを誇った裏には、豚カツの存在があったのかもしれない。【盧載鎭】