これほどまでに闘志をむき出しにしてピッチに立つ選手は、果たしていただろうか。今季限りでの現役引退を決めたセレッソ大阪の元日本代表FW大久保嘉人(39)のやんちゃ伝説は数知れず。報道されたものもあれば、そうでないものもある。記事にならなかった出来事で、特に印象的なものはヴィッセル神戸時代の2007年4月21日、瑞穂公園陸上競技場であった名古屋グランパス戦だった。

セレッソ大阪から完全移籍で移った最初のシーズンの春で、まだ周囲との連係もかみ合っていなかった。名古屋には北京五輪を目指す代表のエースになりつつあったMF本田圭佑がいた。当時の大久保は、よく本田のことを知らなかったように思う。ただ、今になって思えば血の気の多い選手同士の対決。まだ20歳の本田の方は、既に海外移籍を経験して代表での実績もある大久保を、意識していたのかもしれない。

春風が冷たいナイターの試合だった。途中から2人の接触プレーが増える。その度に、何か言い合っているように見えた。神戸は前半に2失点。守備陣に対しても、そして決定的なパスが出てこない攻撃陣に対しても、大久保はイライラを募らせていた。

★挑発され削り返して退場

そこに本田とのやり合い。明らかに挑発的な言葉を受けると、名古屋が時間稼ぎに入った後半終了間際に“事件”は起きた。大久保はコーナー付近でボールをキープする本田を、後方からガッツリ削った。乱闘寸前になり、大久保は2枚目の警告で退場。明らかに年下の本田から受けた言葉にいら立ち、我を見失った。

瑞穂の取材エリアは、メインスタンド下の通路にあった。報道陣はバスへと乗り込むまでの選手を、そこでつかまえる。ロッカー室から出てきた大久保はまだ興奮していた。神戸の番記者3人が取り囲もうとすると、まくし立てた。

▼▼後日談で「そういう日本人って少ないでしょ」/会員版に続く(残り1846文字)▼▼

「あいつ、出てこいよ! グランパス(のロッカー室)はどこや! 俺が行ってやるよ。生意気な態度とりやがって、マジでふざけんな」

尋常ではない雰囲気に気付いた神戸のスタッフが、飛んで来る。すると、大久保の後頭部をピシャリとたたいた。

「嘉人、何言ってんの! そんなことメディアの前で言って、記事になったらどうすんの! 訂正しなさい」

それでもまだ、大久保は納得しなかった。

「ええよ。書かれても。おう、書いてくれよ。アイツ、マジで、かかってこいって」

そのスタッフは強引に大久保を押さえつけ、番記者の前で頭を下げさせた。「スイマセン。今の発言はなかったことにしてください」。そう言いながら。

その時の暴言は、記事にはならなかった。というよりも、記事に“しなかった”という方が正しい。翌日の日刊スポーツは神戸がクラブワースト2番目となる22試合連続失点で破れたことがテーマ。退場した大久保のコメントとして「しょうがないっす。完敗でしょうね。点を入れられる前まではいい感じで行けてたんやけど」としか記していない。

今でも思うのは、本当に書かなくて良かったのか、どうか。Jリーグの公式戦で、取材エリアという公の場での発言であるから、正論を言うならば、いくら神戸のスタッフが止めても抑止力にはならない。事実、どこか他のメディアが書いてもおかしくなかった。

ただ、誰も報じなかった。

それは、大久保嘉人という人間性もあった。あの日から14年が過ぎた引退会見の席で、大久保を弟のようにかわいがってきた元日本代表FWの西沢明訓氏の言葉こそが、彼の人柄を的確に表しているように思う。

「これほど迷惑をかけ、批判され、それでもこんなに愛された選手は今までいなかった」

そう、たとえ「迷惑をかけた」としても憎めない存在。それが大久保だった。

血の気の多い2人は、それから3年後に日本代表として10年W杯南アフリカ大会を戦う。14年W杯ブラジル大会もまた、一緒に日の丸を背負った。

後日、大久保に聞いたことがある。あの日の本田とのケンカのことを。すると、「そんな昔のこと聞かないでくださいよ」とでも言うように、苦笑いをしながらこう答えた。

「それだけね、俺を本気でキレさせるくらい、アイツも真剣に勝負をしているっていうことやと思う。全然、気にしてないし、マジで忘れてたわ。そういう気持ちでピッチに立っている日本人って少ないでしょ。俺も勝ちたいし、点を取りたいから。ただそれは、ピッチの中だけの話です」

本田も「そんなことありましたっけ?」と言っただけだった。ただ大久保のこととは触れずに、海外でのエピソードを教えてくれた。それは、アフリカからカバン1つだけを持って欧州クラブの門をたたいた選手の話だった。貧しい国で育ち、帰りの航空券を持たずに入団テストを受けに来る。家族に金を送るために、何が何でも欧州で成功しよう、命がけで認めてもらおうとする選手がいたという。

そんな選手としのぎを削り、打ち勝たなければ道は開けない。海外とはそういうところだ、と。そう本田は話していた。

マリーシア(ずる賢さ)だけではない。時にはののしり合い、相手とケンカをしてまで自己主張をし、勝負にこだわる。だからこそ彼は「日本に慣れてしまったらダメなんですよ」と、何度も繰り返していた。

★「サッカーの時だけ負けず嫌いになる」

ただ、Jリーグにいた大久保という存在は、ある意味で日本らしさはなく、海外の荒々しさを醸し出していたのではないだろうか。

プロ入り当初、まだ若かりし頃の大久保は手が付けられない程の暴れん坊だった。

03年9月の京都戦では審判に「ボケ! かかってこい」と発言して退場になり、周囲からひどく怒られたにもかかわらず、その2カ月後の市原戦では再び審判に「金もらってんだろ」と暴言を吐いて、また退場。30代になり、ようやく落ち着いたかのように見えたが、そうではなかった。川崎フロンターレ時代、16年のガンバ大阪戦で小競り合いになったFW宇佐美から「何すんねん」と言われると「点を取ってから言えよ」と返し、また乱闘寸前になった。

引退会見では、こう話していた。

「サッカーの時だけ負けず嫌いになる。言わなくていいことも、いっぱい言った。審判の皆さんにも迷惑をかけましたので、そこは謝りたいです。引退してもまた(第2の人生でも)レッドカードをもらわないように、やっていきたい」

暴言を吐き、ケンカをするのがいいというわけではない。ただ、荒々しさと同居する勝負への必死さと、得点へのこだわり。それらの要素が体全体からにじみ出ていた選手でもあった。【益子浩一】

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