サッカーの元日本代表FW中山雅史(42)が今季限りで磐田を退団し、来季は他クラブでの現役続行を目指すことが9日、分かった。静岡・磐田市内のクラブハウスで吉野博行社長(61)と約1時間会談し、戦力外通告を受けた。アドバイザーの肩書での残留を要請されたが、現役にこだわって、筑波大卒業後、前身ヤマハ発動機を含めて20年間在籍した磐田との選手としての別れを決断した。今後はJ2やJFLなどのクラブも視野に入れて、移籍先を探していく。

 中山がついに、磐田のサックスブルーのユニホームを脱ぐ。クラブから戦力外通告を受けた中山は、43歳となる来季の現役続行を強く希望し、退団することを選択した。「現役に強い意欲がある。まだまだ、うまくなりたいと思っているし、そういう場を与えてもらえれば、サッカー選手としてやっていきたい。まだいけるだろうと思っている」。吉野社長との会談を終え、スッキリとした表情で、ハッキリと言い切った。

 初めて戦力外と告げられたのは8月。吉野社長や、強化担当の幹部も同席した場で、来季の戦力として構想には入っていないと言い渡された。以後、数回にわたって話し合いを重ね、この日、クラブとしての最終決定を吉野社長から再び聞いた。チームを3度のリーグ優勝に導いた功労者だけに、元日本代表MFの名波浩氏と同じように営業や選手育成にも携わるアドバイザー就任を要請されたが、現役続行への気持ちを曲げることはできなかった。

 磐田だけでなくJリーグ草創期以降、日本サッカーの歴史とともに中山の存在があった。98年にはリーグMVPに輝いた。得点王を2度獲得し、ベスト11には4回選ばれた。98年のフランスW杯では日本人初ゴールをマークするなど、日本代表として国際Aマッチ53試合に出場し21得点の実績を残した。「ゴン」の愛称が広まり、何本ものテレビCMに出演。今年10月に行われた参議院の静岡県補欠選挙では、自民党から出馬要請を受けるなど、サッカーの枠を超えた知名度がある。

 だが、磐田での今季公式戦の出場はわずか2試合。最年長出場記録のかかるリーグ戦での出場は1試合もない。「チームの中での状況は分かっていたし、チームがこれからやろうとしていることも分かっていた。だから、こういう状況は覚悟していた」。チームへのわだかまりはないという。

 すでに、元日本代表DF斉藤俊秀(36)が選手兼監督を務める静岡県社会人1部リーグの藤枝MYFCから、獲得に向けて熱烈な猛アタックを受けている。また、05年まで磐田に在籍した元日本代表MF藤田俊哉(38)が所属するJ2熊本も獲得に興味を示し、熊本強化幹部は「話は聞いている。検討します」と話している。

 42歳から新天地を探すのは容易なことではない。これまでのような充実したメディカル設備もないかもしれない。それでも「不安がないことはない。厳しい戦いになる。苦しいことの方が大きいと思う。それをサッカーへの情熱が上回れば、1つの勉強になる。失敗でもいい。大きな挑戦。経験として、僕の中で蓄えられればいい」。12月にあるトライアウト参加も検討中で、代理人の選定に動きはじめた。

 ケセラセラ。スペイン語で「なるようになる」の意。「おやじがよく言っていたけど、この年になってその意味が分かった」。当然のように契約を延長してきた中山が、初めての「戦力外」を楽しむかのように話した。リーグ戦は残り3試合。天皇杯もある。「来年1月までは、ジュビロの選手。精いっぱい努力して、練習をやっていきたい」。中山の新たな戦いが始まった。