サッカー元日本代表でJFL(日本フットボールリーグ)松本山雅DF松田直樹さんが4日、長野県松本市内の病院で心筋梗塞のため死去した。34歳だった。2日の練習中に急性心筋梗塞による心肺停止で倒れ、集中治療室(ICU)に運び込まれていた。容体は回復せず、家族に見守られながら息を引き取った。

 「じゃあ、ウチが第1Sで優勝したら丸刈りね」。そう笑顔で言い放った松田さんの姿が、今でも鮮明に記憶に残っている。03年シーズンでは第1S、第2Sをともに制して完全優勝。当然、優勝候補筆頭と目された04年シーズンだったが、開幕から1分け1敗と春先のスタートダッシュに失敗した。そんな矢先、松田さんは髪の毛をバッサリ刈って、丸刈りで練習場に現れた。

 岡田監督が横浜の指揮を執ったころも、松田さんは時として監督の指示より自分の意思に忠実にプレーすることがあった。04年アジア杯では控えで腐らず、誰よりもチームを盛り上げた。05年春先には代表での起用法に不満を持ち、代表合宿から離脱した。自分の感情に素直に行動する男は、丸刈りにした時も彼らしく素直に行動したのだろう。

 「気分転換みたいなものかな。まだ優勝、あきらめてないからね」。第2節を終えて下から3番目の14位。まさかの状況でも横浜の闘将は断言した。その直後に「ウチが優勝できると思う?」と問いかけられ、周囲の記者にも乗せられて、私は口にしてしまった。「逆転優勝したら、おれもマツと同じ髪形にするよ」。

 6月下旬、横浜は見事に第1Sを優勝。私は松田さんとのカケに負けたわけだ。当時、横浜市東戸塚にあったクラブハウスの喫煙所。バリカンを持つ松田さんとスタッフによる私の断髪式が行われた。マツ、あの日から私はずっと丸刈りです。思ったよりも楽だから、気に入ったんです。「だから優勝するって言ったじゃん」。今でも笑いながら人の頭を刈る君の姿が忘れられません。合掌。【サッカー担当・菅家大輔】