<Jユース杯:札幌5-1G大阪>◇24日◇決勝◇大阪長居スタジアム◇日刊スポーツ新聞社主催

 札幌が逆転で悲願の初タイトルを獲得した。5度目の日本一を狙ったG大阪との頂上決戦は、札幌がMF中原彰吾(18)の大会史上初の決勝でのハットトリックなどで、逆転勝利を飾った。四方田(よもだ)修平監督(39)は、98年W杯フランス大会で日本代表の分析担当として活躍。就任9年目で、来季はトップチームへ大量6人を送り込むなど育成の手腕が北の大地で発揮された。20年目の記念大会は新勢力の台頭で幕を閉じた。

 過去の実績では絶対に勝てない相手を、札幌がたたきのめした。200人以上が駆けつけたサポーターの「We

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 札幌」の大合唱を背に、四方田監督が4度宙を舞った。98年にJリーグに参入後、ユースが悲願の全国タイトルをつかんだ瞬間だった。

 「北海道の歴史を変えたかった。このチームで少しでも長く試合がやりたかった。技術や戦術を別にして集大成の気持ちで戦いました」と四方田監督。前半31分に先制されたが、その直後に退場者を出したG大阪から一気に5連続得点。運動量、個人技、組織力すべてで上回り、優勝候補広島を破った準決勝と同じスコアで日本一へと駆け上がった。

 四方田監督は筑波大大学院でコーチ学を勉強し、98年W杯フランス大会でスカウティング担当として日本代表に同行した。岡田武史監督を支え、その指揮官に誘われ、札幌のコーチに就任したのが99年。ユース監督になった04年以降、05年に高円宮杯全日本ユース準優勝に導くなど、確実に上昇カーブを描いた。

 GK阿波加は、四方田監督について「試合前はいつも相手の特徴を的確に教えてくれる。今回のG大阪は(背番号)9、10、11が要注意だと。うまく注意できたし、守備も連係もまったく問題なかった」と胸を張った。

 「選手には常にトップチーム、日本代表、W杯を目標にと言っている」と四方田監督。恩師である岡田氏からは準々決勝後に電話があり「強くなったなあ」と激励されたという。トップは来季、再びJ2へ降格するが、阿波加やMF堀米、中原ら大量6人がユースから昇格する。ハットトリックを達成した中原は「僕らが引っ張ってJ1へ上げたい」。下部組織から巣立つ金の卵たちが、札幌の明るい未来を映し出していた。【横田和幸】