今季完全復活を目指すJ2山形FW北村知隆(29)が“謎のポジション”に挑戦した。21日に宮崎市内で行った紅白戦では本職の右サイドハーフ(SH)ではなく、ボランチに近い位置で先発。奥野僚右監督(43)も言葉を濁した布陣で、これまでよりも守備的プレーに多くの時間を割いた。プロ11年目の昨季はグロインペイン症候群に泣かされ、自己最低の出場5試合に終わった。今年は新たなプレースタイルも追い求めながら心機一転再スタートを切る。

 北村がいつも右サイドにいない。どこだ、どこへ行った?

 あっ、いたいた、中盤の底に。一瞬、目を疑う光景だった。「右SH=北村」の方程式が一気に崩れ去った。本来ならDFライン裏への飛び出しを得意とする男が、ピッチの中央で相手を追い回す。プレー内容はSHというより、明らかにボランチだった。

 「さすがにちょっと戸惑った。引いて(ボールを)受けてさばくタイプでもないし…。まあ守備はサイドの時の感じでカバーできるけど」。本人も困惑していた。18日の練習試合C大阪戦では、ダイヤモンド型で形成した中盤の右SHで出場した。この日試した「4-3-3」の中盤は3ボランチ気味。その一角を担った。

 サッカー人生で1度も経験したことのないセントラルハーフに「やったことないから…どうなんですかね。でも、自分の特徴を出していけたら」。NOと言えるはずがない。考案者の奥野監督も「3ボランチ?

 そういう発想でもないけどね。いずれにしてもシーズンを見据えた布陣」と、言葉は濁しながらあくまで本気モードだ。

 北村にとって今年は勝負の年。どんなポジションでもやるしかない。プロ入り4年目の04年以降、7年連続で20試合以上に出場。そのうち6度は出場30試合超えを達成した。07年に山形へ加入した直後から不動の地位を手にしてきた。

 だが、昨年は5月にグロインペイン症候群を発症して長期離脱。夏、秋、冬と状態を聞かれるたびに「まだ走ると痛い」と同じ答えを繰り返した。それがこの日は「もう大丈夫」。無理をせず、昨年1年はあえて“捨てた”。そして傷は癒えた。「やっぱり点も取りたいですよ。低めのポジションでも」。失いかけたスタメンを取り戻す準備は整った。5月には三十路(みそじ)へ突入する男が、新境地で花を咲かせる。【湯浅知彦】

 ◆北村知隆(きたむら・ともたか)1982年(昭57)5月27日、三重県四日市市生まれ。今年度の全国高校選手権で準優勝した四日市中央工から01年に横浜FCに入団。07年、山形へ移籍した。J通算292試合35得点(うちJ2通算225試合28得点)。利き足は右。家族は夫人と1女。170センチ、61キロ。血液型A。