21年目を迎えたJリーグで、偉大な記録が生まれた。浦和のDF山田暢久(37)が、Jリーグ史上初めてとなる、同一クラブで20年目のシーズンを迎えている。18歳の高卒新人だった94年4月27日の清水戦(草薙)でデビュー。今年の同日に行われるホーム清水戦(埼玉)が節目の試合となる。

 世界を見渡しても、希少な記録だ。今季20年目を迎えた山田暢は、94年の入団以来、浦和一筋。プロ入りから同一クラブで20年目は、J史上初めての快挙だ。山田暢は「正直、実感はない。でも同じチームではもちろん、サッカー選手としてこんなに長くやれるとは思わなかった。選手寿命は短いと思っていたから」と話す。

 94年4月27日、草薙競技場で行われた清水戦でデビューした。FW佐藤慶明、福田正博と3トップを組んだ。変動背番号制で背負った番号は10。チームは先制したが、Vゴール負けだった。「友達も見に来てくれてたけどあまり緊張はしなかったかな」。高卒ルーキーでも肝は据わっていた。

 故障の少なさが現役を続けられる要因だ。大きなケガは07年10月の肉離れくらい。「筋トレは、やったことがない」と言うが回復も早い。05年に右肩を脱臼した際も休んだのは翌週の試合だけ。小学生の時には右かかとを骨折しても、かかとを地面につけずにプレーしたこともある。「この体の強さだけは、親に感謝というしかない」。

 ホームとアウェーの違いはあるが、今年の4月27日に19年前と同じ清水戦が組まれた。ピッチ上でのセレモニーは予定されていないが、クラブは大記録を祝うため準備を進めてきた。当日は「暢久

 20th

 アニバーサリー」と題し、山田暢のパネル写真の展示などをスタジアム外で行う。「もしベンチ外だったら、売店には顔を出そうかな」と冗談半分で言う。

 サポーターも敏感だ。1席1万円のワンダーシートには、試合ごとに決まった選手のフィギュアなどがつく。27日は山田暢だったが、用意した約200席はすぐに完売。レプリカユニホームも背番号6はトップの売り上げを誇る。

 今季、リーグ戦、ACLとベンチ入りはするが出場はない。「最近はストレスがたまる。試合に出てないからね」。20年目を迎えても満足することはない。【高橋悟史】

 ◆山田暢久(やまだ・のぶひさ)1975年(昭50)9月10日生まれ。静岡県藤枝市生まれ。稲葉サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、藤枝中、藤枝東高で日本一を経験。94年浦和入団。175センチ、66キロ。血液型A。<現J1でデビュー以来同一チームに所属する主な選手>

 ◆16年目

 本山雅志、曽ケ端準(ともに鹿島)

 ◆14年目

 前田遼一(磐田)、本間勲(新潟)、森崎浩司、森崎和幸(ともに広島)、鈴木啓太(浦和)

 ◆13年目

 中村直志(名古屋)、伊藤宏樹(川崎F)、石原克哉(甲府)、青木剛(鹿島)、山岸範宏(浦和)

 ◆12年目

 榎本哲也、栗原勇蔵(ともに横浜)、近藤直也(柏)