J1で首位を走る鳥栖が、尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督(41)を解任することが7日、分かった。きょう8日にも発表される。昨年はリーグ戦こそ12位だったが天皇杯で初4強。今季は18試合13失点の堅守をベースにFW豊田陽平(29)を中心としたチームをけん引してきた指揮官が電撃解任される。リーグ戦中に首位のチームの監督が解任されるのは前代未聞。後任は吉田恵コーチ(41)の内部昇格が濃厚となった。

 首位に立つ鳥栖がチーム躍進の原動力になっている尹晶煥監督を解任する方針を固めた。前節(2日)では名古屋に勝利し、1位浦和が引き分けた結果、勝ち点37、得失点差13で並び、総得点数26と1点上回り、5節ぶりに首位に返り咲いた。初の優勝が視野に入った矢先の突然の解任劇。前代未聞の事態に、選手らクラブ全体に衝撃が走ることは間違いない。

 これまで尹晶煥監督とフロントと意見の食い違いなどもあったが、選手補強などここにきて隔たりが大きくなった模様で、フロントが解任に踏み切ったとみられる。きょう8日に発表され、会見が開かれる見込みだが、今後のクラブの方向性が問われる。

 過去を振り返っても、リーグ戦中に、首位を走るチームの監督が解任されるのは前代未聞のこと。9日にアウェー広島戦(Eスタ)を控えているが、新監督就任が濃厚な吉田コーチが指揮を執る予定。首位をがっちり守るはずの試合だが、首位浮上のリーダー抜きという事態に、選手に影響がでるのは必至だ。

 尹晶煥監督は11年に監督就任以来、チームの歴史を塗り替えてきた。当時J2だったチームを就任1年目でJ1へ導いただけでなく、昇格1年目でいきなり5位と大健闘を見せた。昨年はリーグ戦こそ12位も、天皇杯ではクラブ初のベスト4。「アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場」を目標に今季は開幕連勝スタートを切った。堅い守りから元日本代表のFW豊田を中心とした攻撃陣のカウンターが武器。フィジカルを重んじる練習で選手を鍛え、尹晶煥監督の評価も急上昇していた。

 フロントも奔走してきた。前身の鳥栖フューチャーズが97年1月に解散。地元佐賀県サッカー協会や地元市民団体が中心となって「サガン鳥栖」が誕生した。砂でも多く集まり1つになれば固い岩にもなるという意味でもあった。竹原稔社長(53)が11年に就任して以来、チームの立て直しを図ってきたところでもあった。J発足以来、あまりにも突然の監督解任劇。クラブ、選手だけでなく、Jリーグ全体にも大きな衝撃が走りそうだ。

 ◆尹晶煥(ユン・ジョンファン)1973年2月16日、韓国・光州市生まれ。95年からKリーグ、JリーグでMFとして活躍。日本では00~02年までC大阪、06~07年まで鳥栖でプレー。08年に指導者転身。鳥栖でヘッドコーチなどを歴任し監督就任初年度の11年、J2で2位になりJ1初昇格に導く。代表歴は96年アトランタ五輪、02年W杯日韓大会など。韓国代表38試合3得点。J1通算55試合7得点、J2通算93試合5得点。173センチ、69キロ。

 ◆サガン鳥栖

 1991年(平3)に社会人リーグPJMフューチャーズ(静岡・浜松市)から誘致要請を受けた佐賀県協会が誘致決議。93年JFL参加、94年に本拠地移転し、鳥栖フューチャーズと改称。96年にメーンスポンサーのPJMジャパンが撤退。97年に運営会社が累積赤字をかかえて解散し、新運営組織「サガン鳥栖」発足。99年のJリーグ2部制移行に伴いJ2参加。05年に運営会社「サガン・ドリームス」に営業権譲渡。12年にJ1初昇格。本拠地はベストアメニティスタジアム(2万4490人)。<過去の“珍”監督交代>

 ◆首位のまま退団

 95年に横浜Mの監督に就任したソラリ監督は大胆な若手起用を成功させ、第1ステージ16節まで首位に立っていた。だが、体調を崩したため、母国アルゼンチンに帰国。就任から4カ月で退団した。

 ◆優勝決定後に辞意表明

 浦和のオフト監督は、03年11月のナビスコ杯優勝決定後の記者会見で、フロント批判を展開した末、突然の辞意を表明した。「今シーズンが終わったらこのチームから離れる。今、選手にも伝えてきた」。

 ◆J1最速就任2戦で交代

 04年のC大阪はムズロビッチ監督を新監督としたが、開幕2連敗でスピード解任。J2では06年横浜FCの足達勇輔監督が開幕戦1試合だけで解任され、高木琢也監督が引き継ぎ、チームは優勝。J1昇格を決めた。

 ◆寝耳に水

 磐田の山本昌邦監督は、06年6月のナビスコ杯準々決勝横浜戦での敗戦後、辞意を表明。選手やスタッフにも試合後に伝える電撃ぶりで、右近弘社長も「寝耳に水」と話した。同7月からアジウソン監督が指揮した。