鹿島の元日本代表DF中田浩二(35)が3日、今季限りで引退することを表明した。00年に史上初のリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠を獲得するなど常勝軍団を支え、日本代表で2度のW杯に出場。02年日韓大会では3バック戦術「フラットスリー」の左DFとして初の16強入りに貢献した。フランス、スイスを含む17年の現役生活に区切りをつけ、今後はクラブ職員として第2の人生を歩む。逆転Vがかかる6日の最終節・鳥栖戦後に会見する。

 2度のW杯に出場したDF中田がスパイクを脱ぐ。引退を表明した3日の練習後、経緯について「最終節後の会見で」と1度は車に乗り込もうとしたが、立ち止まった。「率直な心境?

 もちろん難しいよ。複雑だし、簡単に決断に至ったわけではない。ものすごく悩んだ」。表情は少し硬かった。考え抜き、自分に言い聞かせるように話した。

 今夏、複数クラブから獲得の打診があり現役続行への自信もあった。だが、愛着ある鹿島に骨をうずめたい-。選んだのはクラブ職員に転じる道。「葛藤はありましたが、アントラーズで現役を終えることが最良であるという結論に至りました」とのクラブを通じたコメントに覚悟を込めた。

 ボランチ、センターバック、サイドバックをこなす万能選手の先駆け。輝く経歴は「雪の国立」で始まった。東京・帝京高3年時。全国選手権の決勝で東福岡に1-2で敗れたが、雪中戦の主役として今も語り継がれる。98年に鹿島入り。同期の小笠原、本山、曽ケ端と黄金期を支え、歴代最多16冠のうち11冠に貢献。02年W杯日韓大会はトルシエ監督の守備陣形「フラットスリー」の左DFとして日本を初の1次リーグ突破に導き、全4試合にフル出場した。フランス1部マルセイユ、スイス1部バーゼルを経て08年途中に鹿島復帰。リーグを3連覇した。

 今季は両膝の痛みとも闘いながらプレー。世代交代を図るクラブの方針で3試合57分の出場にとどまったが、強化担当の鈴木常務は「最終的に昨日(2日)話し合って決めた。勝てる選手だったし、人格面も素晴らしい」として功労者待遇を約束した。現役最後の試合は、逆転優勝の可能性を残す鳥栖戦。5季ぶりVを置きみやげにし、試合後の引退セレモニーで思いの丈を打ち明ける。【木下淳】

 ◆中田浩二(なかた・こうじ)1979年(昭54)7月9日、滋賀県生まれ。神奈川・南戸塚小2年の時に競技を始め、小3で鳥取・米子市へ転居。後藤ケ丘中から帝京高に進学した。鹿島で計14季プレーし、J1通算266試合33得点。99年ワールドユース(現U-20W杯)は小野、稲本ら「黄金世代」の一員として史上最高の準優勝。00年シドニー五輪は8強だった。A代表は00年2月5日メキシコ戦でデビュー。04年アジア杯(中国)決勝の中国戦(3-1)でV弾を決めて優勝に貢献。国際Aマッチ57試合2得点。今年2月に女優長沢奈央と結婚。182センチ、74キロ。血液型B。