ハリルホジッチ監督の解任を受け、緊急登板した西野朗監督(63)は5月21日からチームを指揮し、2日のベルギー戦でロシアでの戦いを終えた。期待の薄かった開幕前から一転、8強まであと1歩という奮闘をみせた。濃厚な43日間の裏に何があったのか。連載「ロシアに燃ゆ」で西野ジャパンの軌跡、日本サッカーの収穫、課題を掘り下げる。

 ワールドカップ(W杯)ロシア大会で組織委員会は出場チームのもてなしに胸を張り「バブル・トウ・バブル」と何度も言った。チャーター機移動などストレスフリーの環境。それがさりげなく行われ、提供されていた。

 バブルは泡。日本協会の関係者は大きなシャボン玉をイメージ。がんじがらめではなく、ふわふわと泡につつまれたように守られる。選手やチームが覆われるのは透明な膜で視野も広くストレスを感じず、ゆったりとした心持ちで試合に集中できる。

 これはまさに、西野ジャパンそのもので、そこに成功の鍵があった。

 自主性を大切にし、意見を出し合える環境で一丸となって大きなことを成し遂げる-。自由な校風の学校のように、西野校長のもと、生徒たちは自分で考え、たくましさを増した。

 前任者のハリルホジッチ監督は、とにかく言う通りにやりなさいの管理型。選手からの意見も一切受け付けず厳格さで引き締めた。

 海外で10年近くプレーした選手が主軸で、意見交換でき、物言える選手が多かったこのチームには、自由な校風が合った。いつどんな時も意見する本田が、戦いを終えた後に「本当に選手のみんなを好きになった。こんなに好きになれると思わなかったくらい」と言ったほどに。

 西野監督のひょうひょうとした一見、頼りなさそうな雰囲気も、最初は選手をまとめる要素になった。話は難解で言い間違いも多い。就任初戦の相手ガーナを「ガンバ」、合宿地のオーストリアを「オーストラリア」、ベルギーを「ヴェルディ」。チーム結成時には「自分には国際的な経験はない。何かあったら言ってくれ」と海外組に申し渡し、選手たちは肩透かしを食らったが、自分たちがやらなければと火もついた。

 ただ長い監督のキャリアは本物で手腕も確か。オーストリアでの事前キャンプで守備の約束事を決め、初めてトップダウン的に言い渡し、ロシア入り後はその勝負勘を生かした采配と結果で、求心力を得て「いい人」から「俺たちの監督」となって君臨。言い間違いもおちゃめな魅力に変わった。

 ちゅうちょなく休日を入れ、1次リーグ突破の夜には、少しだけワインをふるまった。ポーランド戦は攻撃を放棄で、ただボールを回し他力を願う突破。そんな戦いをさせた選手にわび、気持ちを切り替えさせる一手。根底にある選手思いの一面が、心をつかんだ。

 話のつなぎに「~の中で」と言うが、最もよく話し合った長谷部も、いつしか「~の中で」と無意識のうちに多用するようになった。まさに、一体感。個の力で劣る日本が世界で戦う指針を、西野ジャパンは示した。【八反誠】(つづく)