バルセロナのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(33)が1日、自身のインスタグラムを更新。

インターネット上での言葉の暴力や人種差別を根絶するために声を上げた。

フォロワーがちょうど2億人を超えたメッシは「みなさんからのすべての愛とサポートに感謝しています」と記しつつ「2億人を超えたことでお祝いをするつもりはありません。これを、画面の向こう側にいる人たちすべてが感情を持った生身の人間だということに目を向けるいい機会にしたい。SNS上での虐待をなくすために、みなさん声を上げましょう」と呼び掛けた。

イングランドでは同国サッカー協会(FA)やプレミアリーグ、女子スーパーリーグなど複数団体が力を合わせ、SNSの更新を行わない「ボイコット」を実施中。これは言葉の暴力への取り締まりをより厳しいものにするよう、フェイスブックなどSNS運営会社にプレッシャーをかけるためのものだ。メッシも「このアイデアを考え、実行しているイングランドサッカー界の人々に大きなハグを送りたい」と賛同の言葉を記した。

ユニセフの親善大使でもあるメッシは前回インスタグラムの投稿では「#VaccinesWork(ワクチンは効く)」のハッシュタグとともにユニセフが製作した映像をアップ。子どもたちを病気から守るため、ワクチン接種の重要性を訴えた。これらの投稿はクラブやメッシのPRチームによる戦略的な部分もあるだろう。それでも自分の意見をきちんと明らかにすることはとても大事なことだ。

スポーツ選手であっても、忖度(そんたく)なしに社会的、政治的な姿勢について発言できる人間は魅力的だ。女子米国代表のミーガン・ラピノーは、男女の待遇格差解消のために声を上げ続ける、女子サッカー界の「アイコン(象徴)」。ピンクに染めた髪、だれにもこびない姿は、多くのサッカー少女にとっての憧れの的となっている。

一方、日本ではスポーツ選手がそのような発言をすることが敬遠されがちだ。いまだに「競技だけやっていればいい」という風潮が根強いと感じる。社会貢献につながるさまざまな活動を行っている本田圭佑に対するアンチは多いし、「ブラック・ライヴズ・マター(黒人への暴力や人種差別の撤廃を求める運動)」を訴えたテニスの大坂なおみには多くの批判が集まった。寂しいかぎりである。

スポーツ選手が自らの意思を明らかにするという意味では、陸上の新谷仁美は立派だった。今夏の東京五輪開催について聞かれ「アスリートは応援されなければ生きていけない職業。国民の皆様が東京五輪をやりたくないのであれば、開催される意味がなくなってしまう。アスリートだけがやりたいと言うのは違う。やはり皆様が同じ気持ちになり、開催してほしい」と、自分の言葉で話した。「開催に向けて準備をするだけです」的な、とりあえずのコメントではなかった。

筆者は今夏の東京五輪開催に懐疑的だ。懐疑的というより、サポートする気持ちになりにくい、と言った方が適切かもしれない。コロナ禍であることに加え、関係者の失言問題、さらには費用や運営面で招致した当時とまったく違う大会になってしまったことが、そう思わせている最大の理由だ。メディアでのアンケート等を見るかぎり、多くの国民も同様の感情を抱いているように感じる。

選手たちはもし本当に五輪開催を望むのであれば、こんな時こそ自分の口から自分の言葉でその熱い思いを発するべきだと思う。プレーを見せることだけが選手の価値ではない。それだけなら「すごいね」で終わってしまう。その選手の発言・行動が人々、社会に影響を与えるからリスペクトされるのだ。【千葉修宏】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「海外サッカーよもやま話」)