伝統的にチャリティー精神が旺盛で、公的認可を受けた初の慈善活動は12世紀にまでさかのぼるといわれる英国では、国技にして庶民の生活の一部でもあるサッカーが、幾度となくチャリティーの実施手段となってきた。有名人参加のチャリティーマッチ開催は珍しくなく、以前にはリーグに所属する各クラブのマスコットによる運動会が催されたこともある。元々は、長年に渡ってクラブに貢献した選手が引退後の一助として入場料売り上げを受け取るためのテスティモニアル(功労試合)も、選手が億万長者と化している今日では、チャリティーへの寄付が暗黙の了解となりつつある。

 今回の「ゲーム・フォー・グレンフェル」の発起人とも言うべきQPRのトニー・フェルナンデス共同会長は、火災発生直後からロフタス・ロードを被災者救済の場として提供してきた。クラブ役員で試合実現に尽力したファーディナンドは、ほど遠くないロンドン市内の公団住宅で育った身として人ごとではなかったに違いない。出場者の中には、現役(ストーク所属)でありながら、プロとして名を成した古巣の呼び掛けに応えたピーター・クラウチもいた。

 そして、「スポーツの王様」とも呼ばれるサッカーは、さまざまな垣根を超越して人々を引きつける。90年代に人気を博したバンド「パルプ」のフロントマンで、一見するとスポーツとは縁のなさそうなジャービス・コッカーが、シアラー監督に「30秒だけでも」と訴えて20分間ピッチに立てば、スタンドではアジア系、アフリカ系、カリブ系などを含む親子やカップルも多く見られた観衆が、QPRはもちろん、アーセナル、トッテナム、チェルシーといった他クラブのユニホームを着て声援を送っていた。さまざまなバックグラウンドを持つ人々が結束の固いコミュニティーを作っていたという、グレンフェルの元住人たちを支援するにふさわしい光景でもあった。

 その中の1人に、マンチェスターで働くポルトガル人監督もいた。モウリーニョの「1日限定現役復帰」で話題性も増したチャリティーマッチには、テレビ放映料も合わせて数千万円台の集金が見込まれている。その半分が被災者への直接的な救済に割かれ、もう半分も被災した少年少女向けのサッカー教室などのプロジェクトに漏れなく寄付される運びだ。英国らしいチャリティーマッチの成功に免じて、「サッカーの母国」で高級紙スポーツ1面を飾る貴重な機会を奪われたラグビー選手やF1ドライバーたちも、GKモウリーニョを大目に見てくれることだろう。(山中忍通信員)

 ◆山中忍(やまなか・しのぶ)1966年(昭41)生まれ。静岡県出身。青学大卒。94年渡欧。第2の故郷西ロンドンのチェルシーをはじめ、サッカーの母国におけるピッチ内外での関心事を時には自らの言葉で、時には訳文としてつづる。英国スポーツ記者協会及びフットボールライター協会会員。著書に「勝ち続ける男モウリーニョ」(カンゼン)、訳書に「夢と失望のスリー・ライオンズ」(ソル・メディア)など。