日本代表として3大会連続でワールドカップ(W杯)に出場した本田圭佑(33=ボタフォゴ)は、強烈なリーダーシップを発揮しながら世界の頂点を目指してきました。時には言葉で仲間や、世論を動かしながら「W杯優勝」を公言。日刊スポーツでは密着取材を続けてきた元担当記者が「本田の名言 トップ10」を独断と偏見で選出。その発言の背景を振り返ります。第7回は4位、あまりにも有名になった「リトルホンダ」です。

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「心の中のリトルホンダが『ACミランだ』と答えた」

日本人選手が、あのACミランのユニホームに袖を通す日が来るなんて-。長く低迷しているとはいえ、過去に世界中のスターが所属し、圧倒的な知名度を誇るカルチョの国の超名門。日本のエースのお披露目は、聖地サンシーロ・スタジアムで行われた。

通常はVIP用の特別スペースに、報道陣約200人を集めて盛大に行われた入団会見は、まさに本田のためだけの特別な舞台だった、

本田は約30分の会見中、質問にすべて英語で返した。なぜミランへ? この問いには、次のように答えた。

本田 心の中で、私のリトルホンダに聞きました。「どこのクラブでプレーしたいんだ?」と。そうしたら、心の中のリトルホンダが「ACミランだ」と答えた。そういう経緯があって、ACミランに来ました。

小学校の卒業文集に「Wカップで有名になって(中略)セリエAに入団します」「10番で活躍します」と書いていた。“リトル”だったころから思い続けた夢を、まさに実現させた瞬間に出た「リトルホンダ」という名言だった。

この発言は、12年夏にアーセナルからマンチェスター・ユナイテッドに移籍したオランダ代表FWファンペルシーの入団時、「自分の心の中にいるリトルボーイに聞いたら、ユナイテッドと叫んだんだ」という言葉に、よく似ている。

本田がファンペルシーの発言を参考にしたがどうかは分からないが、本田が発すれば、立派な本田語録として認識されるところも、その強烈なキャラクターによるものだろう。

会見後には、日本の報道陣にも、日本語で対応した。背番号について聞かれ、「みなさん、逆に質問したいんですけど10番をつけるチャンスがあって、違う番号を選びますかって話。僕は、そのチャンスが目の前にあって喜んで自分から要求しました」とも言った。

フリット、サビチェビッチ、ボバン、ルイコスタという名手もつけた重い10番を継承し、華々しいセレモニーからスタートしたミランでの日々。手厳しいイタリアのメディアから、ほぼずっと、たたかれ続けた。

加入時、日本から到着したミラノのマルペンサ空港の到着ロビーには、報道陣とサポーター、約200人が待ち構え大混乱となった。批判は、それこそ期待の大きさゆえだった。

在籍は3年半。熱狂とともに迎えてくれたミラニスタ(ミランのサポーター)たちの期待にこたえられたとは言い難い、苦しい日々が続いた。(続く)