1986年W杯メキシコ大会でアルゼンチン代表を優勝に導き「神の子」と呼ばれたディエゴ・マラドーナ氏が25日、ブエノスアイレス郊外の自宅で死去した。同国メディアによると、心不全を起こしたという。10月30日に60歳になったばかり。栄光と挫折の明暗が色濃い、波瀾(はらん)万丈の人生だった。元ブラジル代表の「王様」ペレが「いつか一緒に天国でボールを蹴ろう」とツイッターにつづるなど、サッカー界は深い悲しみに包まれた。

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サッカー界の巨星落つ-。マラドーナ氏が突然、この世を去った。11月2日に脱水症状や貧血を訴えて緊急入院。左頭部に硬膜下血腫と診断され、翌3日に手術を受けた。主治医は手術が成功したと明らかにし、経過は良好。術後8日目となる11日は退院し、自宅で療養していた。

暗転したのは25日昼。地元メディアによると、心臓発作を起こしたという。世界中に衝撃が走ると、サッカー界がすぐ反応した。約1時間後には、ポルトガル代表のロナウドがインスタに2人で写ったモノクロ写真をアップし「比類なきマジシャン。決して忘れない」などと表現した。

また、アルゼンチン代表のメッシも思い出の写真とともに「すべてのアルゼンチン人とサッカーにとって悲しい日」。さらに不仲が報じられたこともあったペレは「何と悲しい知らせだろう。いつか一緒に天国でボールを蹴ろう」とツイートした。アルゼンチン各地ではファンによる追悼集会が自然発生。同調するように、フェルナンデス大統領は同国が3日間の喪に服すると発表した。既に大統領府に遺体は安置されており、国民がお別れに訪れている。

マラドーナ氏の人生はまさに波乱に満ちたものだった。卓越したボールコントロールを武器に、最も輝いたのが25歳で迎えた86年W杯メキシコ大会。アルゼンチンを8年ぶり2度目の優勝に導いた。後世まで語り継がれる「神の手」と「5人抜き」の2つのゴールで人気を不動のものにした。そんな栄光から転落も味わった。ナポリ所属時の91年にコカイン使用が発覚。再起を懸けた94年W杯米国大会ではドーピング違反で、大会途中で追放処分を受けた。さらに報道陣に空気銃を乱射し、話題になった。

97年に現役引退すると、美食がたたり最高121キロまで体重が増えた。00年に心臓発作を起こし、キューバで薬物中毒の治療を受けた。04年には高血圧と拡張型心筋症で一時重体となると、胃袋を縮小する手術を受け、減量に成功。健康を取り戻し、08年11月に母国の代表監督に就任した。10年W杯南アフリカ大会でメッシらを率いてW杯の舞台に戻ったが、準々決勝でドイツに0-4と屈辱的なスコアで完敗。選手と監督でのW杯優勝という偉業達成はならなかった。

それでも「神の子」がいたからこそ、W杯は放映権料やスポンサー収入という巨額の富を生み出す装置となった。同時にメッシやロナウドら現代につながる多くのスター選手も生み出した。浮き沈みが大きく、良くも悪くもファンに愛され続けた真のスーパースターは、世界中に強烈な記憶を残し、天国へと旅立った。【石川秀和、佐藤隆志】

◆ディエゴ・マラドーナ 1960年10月30日、アルゼンチン・ブエノスアイレス州生まれ。アルヘンチノス・ジュニアーズ、ボカ・ジュニアーズ、バルセロナ、ナポリなど所属。W杯は82年から4大会連続で出場、21試合8得点。優勝1回、準優勝1回。10年W杯でアルゼンチン代表監督。現役時代は165センチ、67キロ。