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特別連載 THE OTHER SIDE




イチロー 海を渡って6年 熱さとクールさを持つ素顔

WBC優勝を喜ぶイチローWBC決勝 日本対キューバ WBC優勝を喜ぶイチロー=2006年3月20(撮影・野上伸悟)

 歓喜の瞬間とともに、孤高のメジャーリーガーがみせたもう1つの素顔が、フラッシュバックした。14日、東京都内のホテルで今春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝を祝う「WBC感謝の集い」が開かれ、日本代表の王監督や選手らが出席した。優勝トロフィー、チャンピオンリング…。マリナーズ・イチロー外野手(33)は所用のため欠席したが、代表選手たちを世界一へとけん引したのは、同外野手にほかならなかった。

 風格、あるいは年輪を感じさせる1年だった。2006年は、WBCで幕を開けた。2月に行われた福岡での全日本合宿。ストッキングを出すクラシックスタイルに変えたイチローは、初日から先頭に立って走った。

 太平洋を越えて6年。もはや顔すら知らない若い選手もいた。寄せ集め集団で戦う短期決戦。マスコミの前で盛んに発言したのも、極めて自然な行動だった。重圧のかかる中、自ら矢面に立つことで、チーム全体の「求心」を図った。大会中は一球一打に一喜一憂し、優勝時にははしゃぎ回った。「ヤバいです。このメンバーで(メジャーの)シーズンを戦いたいぐらい」。これまでクールでマイペースと言われた男が見せた、別の一面だった。

 とはいえ、イチローの野球観が、突如として変わったわけではない。公式戦に入り、チームが停滞してもこれまでと同じ言葉を繰り返した。「ボクにそんな力はありません。個人の力ではどうしようもできないことです」。長丁場の162試合で、力の差を埋め、大きな流れを変えることは不可能。WBCのような短期決戦と同じスタンスで戦うわけにはいかなかった。

WBC優勝記念リングを手にポーズする日本チームWBC優勝記念リングを手にポーズする前列左から弘田コーチ、鹿取コーチ、王監督、武田コーチ、辻コーチ、後列左から小笠原、松中、岩村、谷繁=2006年11月14日(撮影・野上伸悟)

 「一朗」と言う名でありながら、実は負けず嫌いのやんちゃな次男坊。心の奥底は、実は熱い。ただ、その熱さを常にコントロールして、表面に出さずにプレーしてきただけに過ぎない。プロである限り、ベストを尽くした末の結果を、反省こそすれど、翌日まで引きずることはしない。今年、WBCと公式戦で見せた、熱さとクールさの両面は、いずれもイチローの素顔だった。

 今や実績・年齢とも、いわば円熟期。来季、マリナーズがプレーオフに進出すれば、感情をむき出しにするイチローの熱さが、再び見られるに違いない。【四竈衛】

四竈 衛しかま・まもる
 長崎県生まれ。日刊スポーツ新聞社入社後、北関東支局勤務を経て野球部へ。巨人、ヤクルトを担当し、98年から米国駐在。メジャー取材では主にマリナーズを担当。全米野球記者協会(BBWAA)会員。41歳。

※本連載は毎週木曜日更新予定です



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