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特別連載 THE OTHER SIDE




多村仁 「このまま死ねない」ソフトバンクで反攻誓う

横浜からトレードでソフトバンク入りした多村と王監督は笑顔で握手を交わす横浜からトレードでソフトバンク入りした多村と王監督は笑顔で握手を交わす=2006年12月12日(撮影・藤尾明華)

 冷たい海風が吹きすさぶ11月半ばの横須賀、ベイスターズ球場。集まったファンと報道陣の視線は、背番号「6」の豪快なスイング一点に注がれていた。見慣れない「湘南シーレックス」のユニホームをまとった多村仁外野手(29)は、水を得た魚のように力強くバットを振り上げた。逆風を物ともしない白球の勢いを見届けると、1人納得したようにほおを緩ませた。

 「バットを振れる当たり前のことが幸せに思えます」。屈辱の1年。今年の多村は度重なる故障から39試合の出場に終わった。致命的だったのは6月の仙台。本塁に滑り込んだ際に捕手と激突、左肋骨(ろっこつ)4本と左手薬指のじん帯を損傷した。9月中旬に復帰を果たすも、故障個所をかばい続けたことで腰痛にも悩まされた。全快となったのはシーズン終了後の肌寒い季節だった。

 ベンチで若手のプレーを見守るだけの屈辱的な日々。ファンからは「多村を出せ」の罵声(ばせい)が横浜スタジアムに容赦なく降り注いだ。ソフトバンクへの移籍が決まったときには「故障が多い虚弱体質がトレードの原因」との厳しい評価をマスメディアから浴びせられた。

WBC決勝 日本対キューバ 9回表日本1死満塁、代打福留の適時打で追加点を挙げバンザイして喜ぶ王監督(左)と多村(左から4人目)WBC決勝 日本対キューバ 9回表日本1死満塁、代打福留の適時打で追加点を挙げバンザイして喜ぶ王監督(左)と多村(左から4人目)=2006年3月20日(撮影・浅見桂子)

 「こんなに悔しい思いをしたシーズンはありませんでした。チームも勝てず、出たくても出られない…」。前年まで2年連続3割30本、今春のWBCでは日本代表の5番打者としてチーム最多の3本塁打を記録した。世界一に貢献したスラッガーのプライドはズタズタに傷ついた。プロの門をたたいて12年。「もうだめなのか」。初めて自分を追い込んだ年だった。

 それでも、スラッガーの闘争本能はバットを振れば振るほどよみがえる。「まだまだあんな打球が飛ばせるんですよね」。苦境から逃げ出しそうになっても、オーバーフェンスの軌道、手に残った感触が再び自分を奮い立たせてくれる。

 「一緒に戦おう」。12月初旬にソフトバンク王監督からもらった電話も原点に立ち返らせた。「戦力として君は絶対に必要な選手」という言葉に何よりも反応した。望まれて赴く福岡の地だと強く感じた。「このまま死ねないですよ」。そうひとりごちた多村の表情には、来季反攻への確固たる決意が秘められていた。【山内崇章】

山内 崇章やまうち・たかあき
 プロ野球西武、巨人、横浜を担当。秋田県出身。35歳。

※本連載は毎週木曜日更新予定です



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