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特別企画 The wish is ─アスリートを支えるコーチの戦い─

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高野進コーチ(東海大) 継承 ~末續慎吾が受け継ぐファイナリストのDNA~

ファイナルこそが真剣勝負のレース

 グラウンドでトレーニングを続ける学生たちを見ながら、高野進が発した一言はある意味で衝撃的だった。

学生のトレーニングを真剣な表情で見守る(2007年7月3日)
学生のトレーニングを真剣な表情で見守る(2007年7月3日)

 「僕はコーチで成功する必要はない、と思っているんです」。

 東海大学陸上部監督として、末続慎吾を育てた名コーチが、そう言い切った。

 「自分が世界と戦ってきた、その経験を後世に伝えていくことは大事なことだと思うから、今、指導者をしている。それは自分の歴史を引き継いでいってもらうことにもつながる。僕だから伝えられることがあると思っています」。

 高野は91年の世界陸上東京大会でファイナリストになった。世界大会での決勝進出は59年ぶり。当然、ファイナルに臨む心構えを“実体験”として教えてくれるコーチは、高野にはいなかった。すべてを自分で考え、自分で感じ、戦った。
 ファイナルという舞台に立った高野が感じた真実。それは「ファイナルこそが真剣勝負のレース」ということだった。

 「世界のトップは準決勝までは流している。彼らが本気を出すのはファイナルの1レースだけ。それは、自分がファイナルの舞台に初めて立ったときに身をもって感じたんです。だからそこにたどり着かないと、世界と真剣勝負をしたとは言えないんだと痛感しました」。

 これこそ高野が「ファイナル」にこだわり続けた理由だった。

 「もう1度世界と真剣勝負をしたい」という思いを胸に、92年のバルセロナ五輪で世界大会2度目のファイナル進出を果たし、96年に正式に引退を表明。会見では「スプリンター高野の財産を生かしていきたい」と今後の抱負を語った。高野は「自分を育ててくれた陸上界に何かしらの形で恩返しをしなければいけない」と思っていた。
 走りたくても、自分の理想とする走りができなくなった。自分のやってきたことを若い世代に伝えたい-。そんな風に考えていたときに出会ったのが、末続慎吾だった。九州学院高時代の末続を見た高野は「光るもの」を感じ、自ら熊本に出向いて東海大入学を勧める。そこから、二人三脚で世界を目指す日々が始まった。

世界陸上では最高のパフォーマンスを

インタビューに答える高野進(2007年7月3日)
インタビューに答える高野進コーチ(2007年7月3日)

 末続は高野の指導で才能を開花させ、03年世界陸上パリ大会男子200メートルで同種目日本人初の銅メダルを獲得した。そのときのことを「自分自身の功績が継承された喜びを感じた」と高野は振り返った。体格では欧米人にかなわないと言われてきたトラック短距離種目の「ファイナリスト」という共通項で師弟が結ばれた。自分の思いを理解し、背負って走ってくれるアスリートを育てたいという高野の思いが現実になった瞬間だった。

 日本のトップアスリートとなり、世界でも確実に結果を残してきた末続に、8月の世界陸上大阪大会、そして来年の北京五輪でのファイナル進出を期待している。

 「もう1度、ファイナルに立って、今の自分の力を試して欲しい。年齢的にも、彼のアスリートとしての集大成になる可能性があるから。北京五輪では自己新記録、自己最高順位を狙って欲しい。世界陸上に向けてこれから、どれだけ本気の調整をして大会に臨めるかだと思う。世界陸上が日本国内で開催されるなんて、これ以上の舞台はないんだから、最大のパフォーマンスをして欲しい」。

 もうすぐ末続と出会って10年が経つ。一番の思い出は何か、と尋ねると高野は笑顔で言った。

 「まだ物語は終わっていない。これからに期待してますから。振り返るのはまだまだ早いですよ」。

 そして「これは僕の理想ですけど」と前置きして、こう続けた。

 「存在そのものを、世界のアスリートに認めてもらえるようになって欲しい。今までと同じようにストイックに走り続けることで、多くの人の目標となり、元気を与える存在になって欲しい。それには、日本人が未経験の領域にたどり着かないといけない。無理だとは思わない。でも、絶対できるとも断言できないんですが」。

 高野の言う「日本人が未経験の領域」。それは、世界大会でまだ日本人が獲得したことのない、短距離種目金メダリストの称号に他ならない。

高野 進 (たかの・すすむ)

1961年(昭和36年)5月21日、静岡県富士宮市生まれ。吉原商-東海大と進む。現役時代は400メートルの第一人者として五輪、世界選手権に各3度出場。91年世界陸上東京大会で7位。92年バルセロナ五輪で8位入賞し、日本人では60年ぶりの快挙を達成する。日本選手には10年以上負け知らず。94年には米国 アリゾナ州立大にコーチ留学。96年に正式に引退。現在は母校東海大学陸上競技部短距離コーチで日本陸連理事・強化委員長も務める。