「2度目の正直」で夢舞台をつかむ。今日13日号砲のリオデジャネイロ五輪最終選考会となる名古屋ウィメンズマラソン(ナゴヤドーム発着)前日の12日、有力選手が最終調整。14年横浜国際で優勝しながら昨年の世界選手権代表に落選した田中智美(28=第一生命)にとって、雪辱のレースとなる。「優勝でも落選」は1月の大阪国際で優勝した福士加代子の「名古屋強行エントリー」の遠因となった。「当事者」として、結果を残してリオ行きを決める。

 そのフレーズ1つに好調さが生む余裕が透けた。「ハーフ、ハーフですね!」。普段からあまり感情を表に出さない田中が、恥ずかしそうにしてやったりの顔。名古屋市出身のフィギュアスケーター浅田真央が進退について「半々」の意味で用いた言い回し。朝の散歩を終え、レースが楽しみか不安かを聞かれると、ここぞとばかりの決めぜりふ? を繰り出した。

 約1年前は崖下に突き落とされていた。14年横浜国際を勝ちながら、世界選手権の代表3人に自分の名前がなかった。「ショックでした。自信があったのに…」。勝利より重視されたのはレース内容とタイム。即座に所属の山下監督が異議を唱え、高橋尚子さんらも選考に疑問をあらわにした。勝利が優先事項でなかった事実は、リオ五輪選考にも波及。1月の大阪国際で優勝した福士を指導する永山監督は、「田中さんの例もある」と、1度は名古屋に強行出場を決める決断につながった。

 田中は落選の一報に落胆も「とにかく次に進もう」とその日のうちに気持ちを切り替えた。監督、家族、友人ら多くの関係者から励ましの言葉が届き、「そういう人に喜んでもらえる走りをしたい」と強く思ったという。

 高校時代は全国経験がない遅咲きは、円熟期に入る。12月末からの50日間のオーストラリア合宿では「(総距離を)計算したら『おおっ』と」と、自ら驚くほど長い距離を積めた。それだけ体は動く。代表切符の可能性が「半々」になるような結果は、いらない。狙うは一発回答のみ-。【阿部健吾】

 ◆田中智美(たなか・ともみ)1988年(昭63)1月25日、千葉県成田市生まれ。千葉英和高から玉川大。大学時代は全日本大学女子駅伝などで活躍。10年に第一生命入社。12年世界ハーフマラソン8位。初マラソンの14年名古屋ウィメンズでは2時間26分5秒で5位。趣味はカメラと抹茶フード探し。154センチ、40キロ。