プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月2日付紙面を振り返ります。2007年の1面(東京版)は世界陸上・男子50キロ競歩で山崎勇喜が運営側不手際で途中棄権でした。

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<陸上:世界選手権>◇第8日◇2007年9月1日◇長居陸上競技場◇男子50キロ競歩

 地元開催の大会に水を差す、前代未聞の大失態が起きた。競歩の男子50キロで入賞(8位以内)争いを演じていた山崎勇喜(23=長谷川体育施設)が、競技役員の誘導ミスにより周回数を誤ってゴールしてしまい、途中棄権となった。競技運営側の連係ミスが原因で、経験や準備不足が影響とみられる。入賞していれば北京五輪切符を手にしていただけに、山崎にすれば何ともやりきれない運営側の不手際。酷暑の約4時間にわたるサバイバル戦の末に待っていたのは、あまりに残酷な結末だった。

 意識もうろうの中、最後の力を振り絞ってゴールした山崎に、悲劇が待っていた。競技場に入る直前の周回。「あと1周」と思ったところで、コース誘導員3人に競技場へ導かれた。何かおかしい…と察しつつ、指示に従いトラックを回りゴールした瞬間、倒れ込んだ。タイムが速すぎるため必死の形相で審判に「ゴールしましたよね」と確認すると、そのまま担架で医務室に運ばれた。電光掲示板に一瞬、表示された北京五輪内定を意味する「5位」は、幻と消えた。

 世界に醜態をさらすミスだ。周回を数える係員と、道路を挟み反対側にいる記録係の連絡ミスにより、山崎の周回は47・5キロ地点で1周多く、カウントされていた。「(山崎は)終わりや」という指示に係員は、そのまま競技場へ誘導。直後、救護担当役員が間違いを伝え呼び戻すべく山崎を追いかけたが、その権限がなく、ためらううちに山崎は行ってしまったという。

 この失態に、大会組織委員会の桜井競技運営本部長は会見で「運営上のミス。山崎選手、日本選手団に申し訳ないことをした」と謝罪。国際陸連のバイス事務局長が「桜井さんはハラキリなどする必要はありません」とフォローする一幕もあったが、人為的ミスは否めない。今大会は大阪陸協を中心にした役員が競技運営を担うが、シミュレーション不足は明らか。リハーサルとして5月6日に長居で日本選手権を開催したが距離は20キロ。長丁場でトラブルが懸念され、運営が倍以上に忙しくなる50キロは行われなかった。

 さらに道幅3メートルのコースには選手から不満が出ていた。大会2日目の男子20キロでも誘導ミスがあり、また1度は失格になったフェルナンデス(スペイン)の抗議が認められ銀メダルを獲得した。ずさんな運営ミスが世紀の大失態を生んだのは明らかだ。

 医務室で無念の結果を聞いた山崎は「大阪で記録を残せなかったのは悔しい。でも先頭集団で、今までの日本人にないレースができていい経験になりました。誘導ミスは…、もういいです」と話した。スタート時の気温27・5度、湿度70%という条件下、3時間48分をかけて歩き抜いた過酷レース。その最後に待っていたのは、途中棄権扱いという、やるせない結末。それでも月間1000キロを歩く驚異のスタミナから「怪物」の異名をとる山崎は潔く「この悔しさは北京で晴らします」と必死に前を向いた。

 ◆山崎勇喜(やまざき・ゆうき)1984年(昭59)1月16日、富山県生まれ。杉原中時代はサッカー部。高校駅伝にあこがれ富山商に進学も4月に左スネ故障。6月から競歩に転向し、いきなり富山県大会で優勝。日本選手権5000メートルと20キロで高校記録樹立。順大3年時に50キロに進出。04年アテネ五輪では20キロで途中棄権も1週間後の50キロで日本人最高の16位。05年ヘルシンキ世界選手権は、日本人で4大会ぶりとなる8位入賞。昨年から長谷川体育施設。06年日本選手権での3時間43分38秒は日本記録。178センチ、62キロ。家族は両親と兄。

 ◆競歩 長距離で歩く速さを競う。反則の有無を見る審判員を効率良く配置するため、ロードレースでも周回コースで行われる。今回も国際陸連の要請で1周2キロのコースを用意。反則には「ロス・オブ・コンタクト」(両足が地面から離れること)と「ベント・ニー」(前足が地面と垂直になる前に、ひざを曲げること)の2つがあり3度の反則で失格となる。五輪では男子が1908年ロンドン大会から、女子が92年バルセロナ大会から採用。現在は五輪、世界選手権とも男女20キロと男子50キロを実施。

 ※記録と表記は当時のもの