女子1号のMGC出場権獲得者だった前田穂南(23=天満屋)が2時間25分15で優勝し、2位に3分47秒差をつける独走で東京オリンピック(五輪)代表切符をつかみ取った。

全国高校駅伝では3年間控え。そこから類いまれな集中力でマラソンの才能を花開かせた。00年シドニー五輪から4連続で五輪代表を輩出した天満屋は、8年ぶり5人目となる代表内定で名門の底力を見せつけた。

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知らぬ間に、ひとりぼっちだった。15キロから1人、2人、3人、前田の背中を離れていく。日本橋から銀座へ向かう20キロ付近、粘っていた鈴木までもが脱落。日本一の繁華街が長い、長い1人旅の出発点になった。

増上寺前の折り返し付近でついに気がつく。誰もいない。「仕掛けたつもりはなかった」予期せぬ20キロ以上の独走。暑さもある。大都会東京のど真ん中で1人、支えになったのは天満屋の厳しい練習だった。

4月から月間1000キロをこなし、30キロ走の最後1キロをペースアップさせる練習では、その1キロで3分を切った。芝生のクロスカントリー50キロ走では、27キロで脱水症状となりストップしたが「それ以外は100%に近い達成率。これでダメなら諦めがつくぐらいに練習した」(武冨豊監督)と、自信の裏付けになった。

「自分の感覚で走った」と細かいタイム設定もなし。五輪本番でも必ず鍵となる35キロからの上り坂では、2位に2分差以上をつける余裕を持ちながら、東京五輪は一切想像せず、邪念を断ち切った。

その集中力が「1番すごい」と武冨監督。子どもの頃からそうだった。ピアノ、そろばん、バスケットボール、水泳。習い事に多忙だった小学時代も「全てちゃんとできた。『これをする』と決めた時の集中力はすごかった」と父哲宏さん(45)。

高校時代、日の目を浴びなかった前田が天満屋に入る前、母麻理さん(45)に初めて示した五輪への夢。「マラソンで五輪に出て、世界で戦いたいという気持ちでずっと練習してきた」。ゴールテープを切った時だけ「ちょっとホッとしました」と気が緩んだ。

それもつかの間。武冨監督は「ここからは地元開催が重圧になる。僕も、本人も。それに負けない練習をしたい」と、東京五輪への戦いはもう始まる。新たなヒロインは曇りなく言った。「金メダルを目指す」。自ら重圧を背負い、覚悟は決まった。【三須一紀】

◆天満屋(てんまや)女子陸上部◆ 江戸後期に創業した老舗百貨店が1992年(平4)4月に岡山市を拠点に創部。10年全日本実業団対抗女子駅伝で悲願の初優勝。五輪女子マラソン代表は00年シドニー大会に山口衛里が初選出され、今回の前田穂南で5人目。選手は主に岡山市で社業と兼務。武冨豊監督(65)

◆前田穂南(まえだ・ほなみ)1996年(平8)7月17日、兵庫県尼崎市生まれ。大阪薫英女学院高を卒業後、15年に天満屋入社。17年1月に初マラソン。同8月の北海道マラソンで優勝し、MGC出場権を獲得した。自己ベストは18年1月の大阪国際で出した2時間23分48。両親がドラマ「東京ラブストーリー」のファンで、ヒロイン役だった女優鈴木保奈美と同じ読み方の「穂南」と名付けた。家族は両親、弟。166センチ、46キロ。