日本が戦後初参加した1952年ヘルシンキ五輪の男子マラソン代表で、53年ボストン・マラソンで優勝した往年の名ランナー、山田敬蔵(やまだ・けいぞう)さんが2日夜に老衰のため川崎市で死去していたことが23日、分かった。妻の冨士子さんが明らかにした。92歳。秋田県出身。葬儀・告別式は8日に近親者で行った。

第2次大戦中は旧満州で過ごし、復員後の49年に初めてフルマラソンに挑戦。53年のボストンではそれまでの世界最高記録を更新する2時間18分51秒で優勝した(距離不足のため後に記録は抹消)。敗戦から間もない日本に大きな勇気を与え、山田さんをモデルにした映画「心臓破りの丘」が製作された。

一線を退いた後も市民ランナーとして国内外でレースへの出場を続け、ボストンは2009年まで15年連続で走り、名物ランナーとなった。同年にマラソンからの引退を表明するまで、約340回のフルマラソンを走った。(共同)