伝説と書いて「かける」と読む。「世の中に伝説のように語り継がれるように、駆け抜けろ」との願いが込められて、そう父紀彦さんに名付けられた。

男子400メートルを制したのは、その男。山木伝説(25=RUDOLF)だった。序盤から積極的に出て、46秒81で初優勝した。「自己ベストです」と喜んだ。

ホテルでチェックインをすれば、「これで『かける』と読むんですか!?」とよく驚かれる。山形・九里学園高時代には同級生女子から「デンセツ君」と呼ばれた。その自分でも、お気に入りの名は、今のモチベーションになっている。エゴサーチすると、「これで速くなかったら嫌だ」などと書かれていたりするという。だから「本当に速くなってやるぞと原動力になります」。五輪や世界選手権は遠いが、実は名前負けはしていない。米沢四中3年時には全国中学選手権を制した。

どの分野でも語り継がれる伝説には、試練や紆余(うよ)曲折が付き物だが、山木の競技人生もエピソードがつまる。18年日大卒業後は2年間は山形県に戻り、競技は引退し、一般就職した。「長男として地元に帰るのは大事」。ただ、日大では3年時の日本学生対校選手権の3位が最高で、優勝できなかった事もあり、「諦めきれない。自分の心にふたをしていた」。走ることへの思いが再燃した。家族の反対もあったが、仕事を辞めて、19年秋に復帰を決意した。現在は公益財団法人の「成田市スポーツ・みどり振興財団」で朝8時半から夕方5時15分まで勤務しながら、週4回の約1時間の練習をしている。フルタイムで働きながら、挑戦を続けている。

今の目標は日本選手権の出場だ。さて、陸上人生の新たな章で、どんなストーリーをつむいでいくか。