箱根駅伝初出場で総合19位で終えた駿河台大・徳本一善監督(42)は「誰よりも箱根にとらわれた人生」と感じている。


1月3日の復路。駿河台大は往路最下位から1つ順位を上げ、たすきをつなぎきった。繰り上げスタートなし。堂々たる走りっぷりだった。


徳本監督は、法大時代、茶髪とサングラス姿がトレードマークだった。「ビジュアル系ランナー」「爆走王」と呼ばれ注目を集めた。エースとして迎えた2002年正月の最後の箱根では、花の2区で、途中棄権した。それまでの強気な発言もあって、批判にもさらされた。失敗を糧にし、悔いのない人生を生きる-。あの時立てた誓いを今、実践している。

(前後編の前編/後編を読む)


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★「忖度なしに楽しむ人生」

初の箱根。徳本監督は自らデザインした駿河台大のオリジナルパーカーやTシャツを着用し、事前会見や本番に臨んだ。日本を代表するスニーカーショップのブランド「atmos」とのコラボ商品だった。これ以外にも、仕掛けた駿河台大コラボ商品は幅広い。地元の老舗パン店とコラボしたクリームあんパンやジェラートとスイーツまである。


第98回箱根駅伝予選会 箱根駅伝初出場を決め歓喜する駿河台大の選手(撮影・柴田隆二)=2021年10月23日
第98回箱根駅伝予選会 箱根駅伝初出場を決め歓喜する駿河台大の選手(撮影・柴田隆二)=2021年10月23日

最近は、駅伝部のマスコットキャラクターを有名デザイナーに依頼して完成させた。いずれもターゲットは中高生。10月の箱根予選会を8位で通過し初出場を決めた後、コラボを次々と着地させた。


「いかにウチの大学、駅伝部の魅力を伝えられるか。監督就任から10年、頭の片隅にずっとあったので、予選会通過後にすぐに動きました。常に考えて仕掛けていかないと。千載一遇のチャンスですから」


箱根駅伝も、大学や駅伝部のブランド確立のチャンスと捉えていた。


「僕の武器は発想力。僕の役割で楽しみ尽くしてやろうと思っています。忖度(そんたく)なしに楽しみ、面白いと思って行動に起こす人生。そういった流れをずっとやっていたら、こんなになっちゃった」


現役引退直後の12年4月、駿河台大の監督に就任した。すぐ有力選手獲得に向けて全国を行脚した。無名校だけに、選手勧誘には苦労した。「どこに大学があるの?」とさんざん聞かれた。ある高校の監督に、大学案内パンフレットを目の前で捨てられたこともあった。


それでも、1度も心が折れることはなかった。


箱根駅伝予選会を突破し、初出場を決めた駿河台大の徳本一善監督=2021年10月23日
箱根駅伝予選会を突破し、初出場を決めた駿河台大の徳本一善監督=2021年10月23日


「『お前なんか無理だ』と言う監督もいましたが、5年後くらいから『お前のことを認めてやる』という先生も少しずつ増えました」


高校駅伝の名門・西脇工には「練習を見せてください」と何年も通い続けた。足立幸永監督から「お前を応援してやる」と協力を約束され、今も交流を続けている。


無名だった駿河台大の監督を引き受けた理由は明快だ。


「もちろん大丈夫かと思いましたよ。どうせ監督をやるなら、法政に帰りたいと思ってました。(駿河台大の前理事長と)ウマがあったんです。この人と一緒にやったらおもしろそう、ただそれだけ(笑い)」

★目の前で喫煙、ポイ捨て部員

就任半年後の箱根予選会当時、部員は1年生9人を含むわずか12人。目も耳も疑うような衝撃的な出来事も続いた。


朝の練習で、大学から約2キロ離れた地点の押しボタン式信号のボタンを押さず、おしゃべりして帰るチームの“サボリぐせ”が発覚した。


偶然、コーチの部屋のベランダに出たところ、隣で喫煙中の部員に遭遇した。しかられた部員は「あ、すみません」と、平然とたばこをポイ捨てした。


「なめてんのか、コノヤローって(笑い)。そんな感じから始まりました」


現在、選手は午前6時に集合し、朝練が始まる。午前4時に起床して準備する選手もいれば、集合5分前に「やべーっ」と言いながら走ってくる選手もいる。就寝時間は午後10時。直前に携帯電話を回収する。


「ダミーの携帯を置くヤツもいる。いいんですよ。最後は数字の世界。どうしてもこいつを選ばないと、と思えば選ぶ」


仲間を集め、夜更かしする選手もいる。“夜更かしリーダー”には、「当たりを厳しくしている」と明かした。


「褒めた方がいいというのはオレはウソだと思う。“しばき”倒さないと気付かないヤツもいる。指導者として、真剣に向き合って勝負しないといけない」


指導哲学で最も大事にしているのが、「観察と対話」だ。


第98回箱根駅伝往路 小田原中継所を出発する駿河台大5区永井(撮影・鈴木みどり)=2022年1月2日
第98回箱根駅伝往路 小田原中継所を出発する駿河台大5区永井(撮影・鈴木みどり)=2022年1月2日

自室前に選手の行列ができ、就寝ギリギリまで相談に乗る。「カウンセラーですよ」と笑った。「指導を始めてからの約束だから。来た選手には真剣に答えると。ちゃんと答え

ないと、それこそ選手の信頼を失う。信頼関係はそういうところから生まれると思う」。


監督就任から約5年は戸惑いがあった。「僕は中学でオリンピックを目指しましたけど、ウチの選手はオリンピックの『オ』の字どころか箱根駅伝の『ハ』の字もない。モチベーションのギャップに一番悩みましたね」。


卒業生で前主将の石山大輝との出会いが大きかった。


石山は「僕はこうだと思います」と意見をまっすぐぶつけてきた。「信頼してくれている」。そう素直に受け入れることができた。


「監督になって5年は教えなきゃ、という気持ちが強かった。待てよ、すごく苦しいぞと。教えてもらえれば良くねえ? って。自分の苦手なところを伝え、選手の苦手なところはオレが得意なところで助けるよと」


「それからは急激にチームが変わった」と手応えを感じている。そうして迎えた、初の箱根路だった。


(つづく)【近藤由美子】


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【爆走王の箱根戦記・後編/「髪染めたい」の相談に苦い経験踏まえた返答】はこちら>>


◆徳本一善(とくもと・かずよし)1979年(昭54)6月22日、広島市生まれ。美鈴が丘中1年で陸上を始め、沼田高から法大へ進学。01年ユニバーシアード1万メートル3位。箱根駅伝では1年が1区10位、2年が1区1位、3年が2区2位。大学NO・1ランナーとして出場した4年の2区で途中棄権した。卒業後、日清食品に入社。2012年4月より駿河台大の監督に就任。現役時は173センチ、58キロ。