駒澤大(駒大)が2年ぶり8度目の総合優勝を果たした。

大八木弘明監督(64)は優勝会見の最後に「監督を退きます。3月で終わりです。藤田と交代します」と勇退することを明かした。教え子でマラソンの元日本記録保持者・藤田敦史コーチが後任となる。

 

▽大八木監督の名言集

★「何がガッツポーズだ! バカヤロー! ガッツなんかやってる場合か、トップで走ってるわけじゃない」(06年1月2日、5連覇を狙っていたが3区まで5位。4区でタスキを受けた田中宏樹が、右手でガッツポーズをつくってスタートして)

★「区間賞だぞ! いいか、あきらめるな! 追え、追え、追えだぞ!」(06年1月3日、8区で2位に浮上した堺晃一に対して。堺は首位に立つも区間2位に)

★「そこで男だぞ! そこからだぞ!」(10年1月3日、9区で高林祐介が中大をかわし、山梨学院大も抜いて2位に浮上して)

★「跳べ、跳べ、跳べ、跳べ! 最後の最後だ! 頭から突っ込め!」(14年1月2日、5区で1位東洋大を追い2位を走る馬場翔大が山を登り終え、最後の下りに差しかかった瞬間)

★「白バイを抜け!」(16年1月3日 6区の宮下紘一のペースが上がらず思わず)

★「おい、浦野! 人の後ろばかり行ってちゃだめだ。引っ張っていかないと。いいか2人で行けば浦野が区間賞、お前(伊東)は区間3、4番だから」(19年1月2日、5区で伊東颯汰の後方を走っていた国学院大のエース浦野雄平に対して。結果は浦野が区間賞、伊東は区間5位)

★「倒れてもいいから、それぐらいの覚悟で最後まで走り切れ! 男だったら行くぞ!」(21年1月2日、2区の田沢廉のラストスパートで)

★「早く前に行けって言ってんだろ、テレビカメラ!」(21年1月3日、7区の花尾恭輔を撮影していたテレビカメラに「前に行って下さい」と優しく注意しても状況変わらず激怒)

★「やったね、やったよ、お前男だ!」(21年1月3日、10区で区間賞の走りを見せた石川拓慎に20キロ付近で)

 

▽大八木監督アラカルト

★選手時代 会津工業高校卒業後、実業団の小森印刷に就職も、24歳で駒大の2部(夜間)に入学。川崎市役所で働きながら競技を続け、箱根駅伝は1~3年まで3度出場。5区と2区で区間賞。

★指導歴 95年4月に低迷していた母校の駒大のコーチ就任。2年目の96年度の箱根駅伝で復路優勝、総合6位に押し上げる。助監督をへて04年4月に監督に就任した。

★3大駅伝27勝 コーチ、助監督時代を含めて、出雲、全日本、箱根の3大駅伝優勝27度を誇る。

★箱根4連覇 01年度~04年度まで箱根駅伝総合4連覇を達成。03年度の3連覇は往路・復路の完全制覇を成し遂げる。

★全日本3連覇 06年度~08年度まで全日本を3連覇。07年度は箱根との2冠を達成。

★駅伝3冠 22年度は出雲、全日本、箱根と3大駅伝を制して、史上5校目の3冠達成。箱根は往路・復路ともに制する完全優勝。

 

◆大八木弘明(おおやぎ・ひろあき)1958年(昭33)7月30日、福島県生まれ。会津工卒後、川崎市役所などを経て83年に24歳で駒大夜間部に入学。1年で5区区間賞、2年は2区5位、3年で2区区間賞を獲得。4年は年齢制限で出場できず。卒業後はヤクルトで活躍。95年に母校のコーチとなり、助監督を経て04年に監督に就任。