正月の箱根駅伝を制し、出雲、全日本に続く3冠を達成した駒大の「3冠達成報告会」が14日、都内で行われ、歌手の松任谷由実(69)と夫で作曲家、プロデューサーなどで活躍する正隆(71)がサプライズ登場した。2人は3月限りで勇退する大八木弘明監督(64)と次期監督の藤田敦史ヘッドコーチ(46)へ花束を贈呈。夫婦そろって駒大を応援しており、同校史上初の3冠を成し遂げたメンバーたちを直接、祝福した。

花束を抱えてやって来たのは、松任谷正隆と今にも走り出しそうな、それでいて一目でわかるセンス抜群のジャージー姿のユーミンだった。2人は駒大の大ファン。ユーミンはかみしめるように「“推し”があるって素晴らしい。幸せを感じます。世界は全く違うかもしれないけれど、輝きたい気持ちは一緒」と口にした。箱根駅伝前の勝負どき、毎年12月には100人分のシュークリームを差し入れている。大八木監督もしみじみとした表情で「これが3冠の力になって頑張れたと思う」と、ユーミンの力に感謝した。

ファンになったのは約20年前。正隆がテレビで箱根駅伝を見ていると「ひときわ甲高い声で、放送禁止用語に近いような言葉で怒鳴っていた監督」がいることに気付いた。その人物こそが大八木監督。ただ、そのゲキにはたっぷりと情がこもっていた。「きつい言葉をかけるだけでなく、ものすごく愛情のようなものを感じて、とりこになりました」。数年後、自宅近くの公園で青年たちから、さわやかにあいさつされた。彼らは駒大の陸上部員。そこから夫婦そろっての、交流が始まった。

大八木監督から、愛にあふれた指導を受けた選手たちは、強かった。正月の箱根で圧勝。主将を務めた山野力(4年)は「監督は、いつもやる気にさせてくれた」と感謝。常に目標を「3冠」と唱え続けた。「監督のために達成したい」という思いをかなえた。

22年の箱根駅伝では8区の鈴木芽吹(めぶき、当時2年)がレース中に左大腿(だいたい)骨を疲労骨折。区間18位に沈み、順位を2位から6位へと落としたが、仲間は「芽吹、走ってくれてありがとう」とねぎらった。誰も責める者はいなかった。愛情。そこには、ユーミンにも愛される、駒大の温かさがあった。

鈴木は今年の箱根路で4区3位と好走。3冠に貢献し、新チームでは主将で引っ張る。「今年はもう1度、3冠をしようと努力しています」と言い切った。勇退する大学駅伝27勝の名将は願う。「これからも愛される、強いチームで頑張っていきます」。その言葉に、会場を埋め尽くしたファンの拍手が響き渡った。そこにあったのは、ユーミンも魅了した、まさに「愛されるチーム」の勇姿だった。【藤塚大輔】

<ユーミンってすごい>

◆コンサート 昨年7月にデビュー50周年を迎えたレジェンド。今年2月6日に、新潟・苗場プリンスホテルで43回目となる恒例の冬のリゾートコンサート「SURF&SNOW」初日公演を行った。ここで、「特別なことがしたかった」と、オープニングではユーミン史上最多となる40曲メドレーを披露した。

◆文化功労者 大衆音楽で選ばれ、昨年11月には天皇、皇后両陛下とも面会。皇后さまから、デビュー50周年に「おめでとうございます。お元気でご活躍ください」と語りかけられた。

◆世代を超越 昨年秋、デビュー50周年記念アルバム「ユーミン万歳!」が、発売初週で19・1万枚を売り上げ、オリコン週間アルバムランキングで1位を獲得。オリコン史上初めて、1970年代、80年代、90年代、00年代、10年代、20年代の「6年代連続」でアルバム1位の快挙を達成。

<ユーミンとスポーツ>

大相撲の元大関栃東の玉ノ井親方と交流がある。03年には、新曲「雪月花」の文字が入った化粧まわしを贈っており、引退後、08年の断髪式にも出た。13年12月1日に東京・国立競技場で行われたラグビーの関東大学リーグ対抗戦、早大-明大の終了後には、名曲「ノーサイド」を歌い上げた。旧国立での最後の早明戦の企画だった。「春よ、来い」を羽生結弦さんが、18年平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)後からエキシビションなどで使用していた。87年公開の映画「私をスキーに連れてって」では「サーフ天国、スキー天国」が主題歌、「恋人がサンタクロース」が挿入歌に使われた。

<過去の駅伝ご褒美>

青学大は原監督がポケットマネーで17、18年に卒業した4年生に、ハワイ旅行をプレゼントしている。これは、箱根総合優勝のご褒美だった。20年の総合優勝でもハワイ旅行が贈られた。