昨年3月11日の東日本大震災直後、いち早く被災地支援を呼び掛けたアスリートがいた。陸上男子400メートル障害の為末大(33=a-meme)。魂のメッセージと義援金活動は多くの共感を呼び、スポーツ界に一大ムーブメントを巻き起こした。あれから1年。侍ハードラーは今、何を考え、どう競技と向き合っているのか。インターネット回線のビデオ電話「スカイプ」を使い、米サンディエゴに暮らす為末を都内からインタビュー。ロンドン五輪出場がかかる勝負のシーズンを前に、胸の内を聞いた。

 昨年の大震災翌日、為末は公式サイトに「アスリートにできること」というメッセージを掲載した。「私たちアスリートは希望をもたらすプロフェッショナルです。(中略)きっと私たちでないと対峙(たいじ)できない問題が日本に訪れます。その時が私たちアスリートが本領を発揮するときではないでしょうか」。そして被災地への寄付を呼び掛けた。

 反響は大きかった。競技の垣根を越えてさまざまなアスリートが加わり、支援の輪は広がった。1カ月で3000万円以上が集まった。あれから1年。為末は今、あの行動をどう見ているのだろうか?

 回線がつながり、ビデオカメラに為末が登場する。「ご無沙汰しています。お元気ですか?」。海の向こうに暮らす男は、いつもと変わらぬ穏やかな口調で、人懐っこい笑顔をこしらえた。昨秋以来の対面だ。近況をひとしきり聞き、「1年前のこと」を尋ねた。

 為末

 スポーツ選手の力って、あるようで、ないようで難しい感じだった。影響力ではテレビに出ている芸能人の方が大きい。ただスポーツって独特の説得力があるんじゃないかと思っていた。それまでだったら、スポーツ選手は何か動きがあった時に乗っかる感じで、選手側が動いてムーブメントを起こして行くってなかった。いろんな選手と話す中で「僕がやったからって」と考えている選手が多くなっているな、って感じていた。それがたまたま僕がつくった寄付のやつで、みんな動いたという感じだったんじゃないかな。

 08年の北京五輪は、1次予選敗退という不本意な結果に終わった。その翌年、生活拠点を米国に移した。もともと日本への帰属意識は薄かったという。

 為末

 引退したらこっちに残って大学でも行って、それからアメリカで商売しようかなって思っていたんですけど。やっぱり去年の3月11日から、日本にべったり戻るかは別として「何かしたいな」と思うようになった。現役時代も引退後も問わず、使命感まではいかないんですけど。それは自分自身でも意外でした。

 スポーツを通じて社会に貢献する「アスリートソサエティ」を主宰。これまでストリート陸上を東京、広島で成功させた。そんな功績が評価され、1月には広島市民栄誉賞を受賞。現在は、アスリートたちが被災地に出向いて運動会を行う構想を温めている。

 為末

 被災地で活動されている方とはいろんな会で顔を合わせ、連絡を取り合っています。できれば来年以降やりましょうという話をしていて。オリンピックが終わってから動かしていきたいと思っています。

 昨年はスポーツの力が試された年だった。大ブレークした「なでしこ」しかり。スポーツは厳しい状況下でこそ、民衆を励ます存在であることを証明した。

 為末

 去年はカズさんとか、沢ちゃんとか。数字にはうまく表せないかもしれませんが、ものすごく影響があったと思うんですね。みんなを勇気づける。あれを見てスポーツの力ってすごいと思いました。

 だからこそ自らも奮起する。慢性化する膝、アキレスけんの古傷と闘い、五輪出場に挑む。そんな不屈の姿こそ、傷つきながらも前に進もうとする人々への大きなメッセージになる。

 為末

 競技人生も終盤になって、自分の役割ってなかなか見いだせないものなんです。ただ震災があってから僕のポジションというのが何となく、そういう役割を果たせるんじゃないかなって。本当に新しいモチベーションですよね。もうひと頑張り、ちょっと本気でやるかと思えるようになった。こっちが支援しておきながら何か支援してもらっている。それは海外に出ている選手はみんな思っているんじゃないかな。北島(康介)君とかも含めて。

 1人のアスリートとして、為末は五輪を目指す。昨春2年半ぶりに競技活動を再開。だが目標とした世界選手権出場を逃した。5月で34歳。進退のかかる今季は崖っぷちの戦いとなる。

 為末

 僕は当然(五輪に)行けると思っているんですけど。去年ほど怪しくないな、って感じはしています。これでダメだったら僕の力が無理だったんだなって。でも今の感触からいくと、20代中盤のスピードが出ないわけではなさそうな感じなんですけどね。

 今季初戦は4月最初の記録会。まず400メートルを走り、続く大会でハードルを跳ぶ。それから日本に戻り、5月3日静岡国際、6日ゴールデンGP川崎。日本男子400メートル障害は現在、五輪参加記録を4選手が突破しており、混戦模様だ。

 為末

 僕が勝っているパターンだと、調整がスパッとはまってレースの間も落ち着いて1周グルッと回っている。だけど彼らが勝つパターンだと、勢いがあって、そのまま日本選手権も行っちゃう。だから僕の課題は調整力。その日、その瞬間にピタッと合わせられるかが重要になる。いざ日本選手権の時に健康体でいれば、多分勝てると思う。

 あくまで目指すところはロンドン五輪。それもファイナリストを思い描く。

 為末

 48秒5を切らないとダメでしょ。一発はまるタイプなんで、五輪までは48秒台が出なくてもいいと思っているけど。五輪の準決勝は48秒5を出せるようにはめていきたい。1つの鍵は日本選手権。49秒0とか、48秒台で走れていたら、すごく可能性はある。

 自身の復活、被災地復興の願いが重なり、日の丸への思いは強くなる。「何かたぎる、というと変ですけど。何かやってやるぞ、日本のために、って。そんなこと前は思っていなかった。やはり震災が大きかった」。きれいごとではない。胸を張って言えるのだろう。だからこそ、為末は走る。自らのため、そして日本のために。そう誓う。【取材・構成

 佐藤隆志】

 ◆為末がロンドン五輪に出るには

 まず五輪の参加標準記録を突破する必要がある。男子400メートル障害のA標準は49秒50、B標準は49秒80で、期間は7月2日まで。その記録を突破した上で、日本選手権(6月8~10日、大阪)の上位が条件となる。岸本(法大)今関(チームアイマ)小西(立命大)の3選手がA標準を、安部(中京大)がB標準をクリア。為末は昨年5月の静岡国際で49秒89を記録している。昨年の日本選手権優勝タイムは岸本の49秒28だった。

 ◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。五日市中-広島皆実高-法大。02年に大阪ガス入社。翌年秋からプロとして活動開始。01年、05年の世界選手権で2度銅メダル。世界大会のトラック種目で2つのメダル獲得は日本人初。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。400メートル障害の自己ベストは01年の47秒89(日本記録)。昨年の日本選手権は6位。家族は妻。170センチ、66キロ。