<陸上世界選手権>◇3日目◇12日◇モスクワ・ルジニキスタジアム◇男子棒高跳び決勝

 山本聖途(せいと、21=中京大)が、同選手権日本人最高の6位入賞を果たした。初出場で自己記録タイの5メートル75を3本目の跳躍でクリア。大会直前の腰痛を克服して、05年ヘルシンキ大会で沢野大地が記録した8位を上回った。究極の目標にアジア人初の6メートルジャンパーを掲げる21歳が、16年リオ五輪でのメダルに照準を合わせて、空を舞う。

 大歓声は聞こえなかった。追い込まれた3本目。5メートル75のバーだけを見ていた。鳥人ブブカも舞ったモスクワの空でフワリと浮いた。日本人最高順位の6位を決めるジャンプ。派手なガッツポーズを繰り出した。

 「順位は把握できていなかった。目の前の高さを何としても跳ぶぞ、と思った。腰の痛みがある中で、この記録は自信になった」

 7月末に激痛が走った。「疲労骨折の直前の状態でした」。1週間休養して、モスクワ行きのフライト中は負担をかけないために、飛行機内を歩いて回った。痛み止めを服用し、初の世界選手権で自己記録タイ。昨年ロンドン五輪で記録なしだった反省を生かした。

 五輪のために生まれてきた。「聖火台に向かって一途(いちず)に頑張れ」の願いから「聖途(せいと)」と名づけられた。中学時代は体の線が細く、愛称は「つまようじ」。そんな少年は、日本記録保持者を3人育てた島田正次コーチ(現中京大コーチ)に見いだされた。名伯楽の「私が日の丸のユニホームを着せる最後の選手。そして4人目の日本記録保持者になる」という期待を受けて成長してきた。

 目標はアジア人初の6メートルジャンパー。願いを込めて「6」の数字が入ったネックレスをつける。「冷静になれば、もっと上にいけたんじゃないか。悔しい。リオまでに日本記録(5メートル83)を跳んで。メダル争いをするには6メートル近く跳ばなければダメだと思う」。モスクワの6位入賞を、15年北京での世界選手権、そしてリオ五輪の空へつなげる。【益田一弘】

 ◆山本聖途(やまもと・せいと)1992年(平4)3月11日生まれ、愛知県出身。岡崎市立岩津中2年から棒高跳びを始める。岡崎城西高3年時に高校総体6位。中京大3年時の昨年6月の日本選手権を制しロンドン五輪代表。今年6月に同選手権2連覇し、日本学生個人選手権で日本歴代2位の5メートル75を記録。「五輪の聖火台に向かって一途(いちず)に頑張れ」と国体100メートル優勝経験者の父久義さんが「聖途」と命名。179センチ、70キロ。家族は両親と兄2人。