6月14日、JOC(日本オリンピック委員会)が主催する「オリンピックコンサート2019」に参加した。場所は、東京国際フォーラム。ここで私は大事なことに気付かされた。

「オリンピックコンサート」を聞いたことはあるだろうか。1884年6月23日にIOC(国際オリンピック委員会)が設立された。ちなみに第1回の近代オリンピックは、2年後の1886年。この6月23日がオリンピックデーと設定されている。この日を記念して全世界で行われるイベントの一環として、このコンサートは開催されている。

毎回テーマが設定されているが、2019年は「輝く夢に向かって!」だ。1964年の東京オリンピックの映像とオーケストラの化学反応は素晴らしいものだった。来年に迫る東京2020大会への「展望」として、リオデジャネイロオリンピック2016までの感動的な映像が多く流されていた。

そこで私は、あることに気が付いたのだ。

私は現役時代、過去を振り返ることがとても苦手だった。苦手というか、嫌いだったのかもしれない。うれしいことよりも、苦しいこと、できていないことばかりを思い出してしまうからだ。みなさんはどうだろうか。「過去」はどんな印象だろうか。

そのとき、音楽と映像を見ながら、振り返ることがきちんとできている自分を感じていたのだ。

それなりの時間がたったこともあるのかもしれない。もう引退して7年目になるのだ。来年の東京2020は、引退して2度目のオリンピック・パラリンピック。「信じられない」気持ちでいる。

振り返ってみると、いいタイムの時もあれば、悪いときもあり、ただほとんどが反省と課題の繰り返しだったように思う。周囲には輝く選手が多くいて、人と比べては落ち込むことも多かった。

私が最初に見たバルセロナオリンピック1992。岩崎恭子さんの200m平泳ぎ決勝。どれだけ大きな舞台かも分からず、金メダルにただ感動した。

その後の大会では一番印象に残っているシドニーオリンピック2000。親戚は当時もすでにシドニーに住んでいて、兄もシドニーで教育を受けていた。自分は15歳という思春期で、鮮明に記憶に残っている。競泳ではイアン・ソープが活躍。中村真衣さんが銀メダルを獲得した100メートル背泳ぎを、私はすごくよく覚えている。ソープ氏は今でもオーストラリアの英雄で、シドニーには「イアン・ソープ・プール」があり、市民が日頃泳ぎに行っている。

こんな感じで振り返ることができたということが、今回のオリンピックコンサートに行った一番の収穫だった。つまり、完全にキャリア・トランジションを終えたという気持ちになったのだ。自分自身、人生が次のページに進んだ実感を持てた。

もう1つ。レミオロメンの藤巻亮太さんが特別ゲストとして出演し、「粉雪」、「もっと遠くへ」、「3月9日」を披露してくれたのだ。もちろんオーケストラと一緒に。

その中で、私も出場した北京オリンピックのために作った「もっと遠くへ」を聞いたとき、感動したのではなく、自分の弱さを思い出して涙がにじんだ。歌詞に「君と出会えて僕は弱さと初めて向き合えた」というパートがあり、「オリンピックは悪いものではなかった、オリンピックと出会えて、弱い自分ダサい自分と出会えて、今の自分にもなれたんだ」そう思った。

私は、ほかの人生もあったのかなと考えることも多かった現役時代を肯定できていることにも気が付いた。オリンピックがあったから頑張れたし、今も別の立場で頑張れる。

今回、引退後もオリンピック・ムーブメントに貢献したとして、大林素子さん、宮下純一さんと共に「JOCスポーツ賞 特別貢献賞」をいただいた。

大変光栄であったし、私はいろんな成長をさせてくれたオリンピック、そしてパラリンピックに何ができるか、スポーツに対して何ができるか、考えるきっかけになった賞だと思っている。この素晴らしい機会をいただき、本当にありがとうございました。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)