11月16日は“ジョホールバルの歓喜”から25年の節目になる。

1997年のこの日、マレーシアのジョホールバルで行われたW杯フランス大会アジア第3代表決定戦で、日本は延長Vゴールの末、イランを3-2で破り、悲願のW杯初出場を決めた。最終予選6戦終了時点(全8戦)で1勝4分け1敗という絶望的な状況からの、奇跡のような突破劇だった。

解任された加茂周監督に代わり、第5戦から指揮を執った岡田武史監督はW杯出場を決めた直後「“W杯に行ける”と手応えを感じたのはいつか」と問われ、監督就任初戦となった同年10月のウズベキスタン戦(アウェー)の同点ゴールを挙げた。

0-1で迎えた後半44分だった。DF井原がロングボールを前線深く蹴り込んだ。FW呂比須が頭で落としたが、ボールはコロコロとGKの正面に転がった。FWカズとDF秋田が交差しながら駆け込んだが届かない。万事休す。ところが、ボールはGKの真横を抜けてゴールへ。まるでボールに魂が宿っているようだった。

狙ったわけでも、意図したわけでもない、ラッキーとしか言いようのないゴールだったが、岡田監督は「自分たちにも運が残っている。これはひょっとするとW杯に行けるかもしれない」と直感したという。

サッカーという競技はGK以外の選手は手が使えない。足だけでボールをコントロールしなければならないので、なかなか思うようにはいかない。だから確かに運が左右する要素が大きい。でも待っているだけでは幸運はやってこない。日ごろの練習の積み重ねや、強い意志、監督の経験と想像力に裏付けされた決断が、運を引き寄せるのだ。

ウズベキスタン戦の同点ゴールにも伏線はあった。後のない日本は開始から攻め続けた。1点を追う後半は呂比須も投入して、FWはカズ、城彰二を含む3人に。さらに終盤は空中戦に強いDF秋田まで前線に上げた。日本のゴールへの、W杯への執念が、GKの目測を誤らせたのだと思う。

実は岡田監督は、この1試合だけで辞めるつもりだった。自分をコーチに呼んでくれた加茂監督が辞めた以上、自分も続けるわけにはいかないと考えていた。しかし、試合後に翻意した。W杯出場へいちるの望みをかけて必死に戦う選手たちを見て「自分だけが逃げるわけにはいかない」と覚悟を決めたのだ。

その後、日本の戦況は好転する。最大のヤマ場だったアウェーの韓国戦は、守備の要DF洪明甫が出場停止。同組で2位争いをしていたUAEはいつしか勝利から遠ざかり、イランとの第3代表決定戦は攻守の主軸MFバゲリが出場停止だった。思い通りにいかないのは、ライバルたちもまた同じだった。

今年9月、岡田氏にインタビューする機会があった。彼は自らの監督人生を振り返って、こんな持論を語った。「やるべきことをやったら最後は神様に託すしかない。本当にすべてをかけて死に物狂いでやっていると、神様はご褒美をくれる。そのために自分たちは全力を尽くしてチャレンジしていく」。

20日に開幕するW杯カタール大会に、日本は7大会連続出場を果たす。私にはW杯初出場へ望みをつないだ、あのウズベキスタン戦の同点ゴールが、“ジョホールバルの歓喜”を経由して、今も線でつながっているように思えてならない。

森保ジャパンは4年の歳月を掛けて、あらゆる場面を想定して、万全の準備をしてきたに違いない。最後の勝負どころで、運を引き寄せられるか。あとは神のみぞ知る。【首藤正徳】

日本対イラン 岡野雅行(左)がゴールデンゴールをきめ日本代表はW杯出場を決めた(1997年11月16日)
日本対イラン 岡野雅行(左)がゴールデンゴールをきめ日本代表はW杯出場を決めた(1997年11月16日)
W杯アジア最終予選・アジア第3代表決定戦 日本対イラン 延長後半14分、決勝ゴールを決めたMF岡野雅行(14)はカズ(三浦知良)、岡田武史監督らと抱き合い喜ぶ(1997年11月16日)
W杯アジア最終予選・アジア第3代表決定戦 日本対イラン 延長後半14分、決勝ゴールを決めたMF岡野雅行(14)はカズ(三浦知良)、岡田武史監督らと抱き合い喜ぶ(1997年11月16日)