厳しいようだが、まだW杯の“世界標準”に達していない。2試合で1次リーグ敗退が決まったカタールの率直な印象である。

20日のエクアドル戦は、相手を過大評価しすぎたのか、腰が引け、ミスを連発する目を覆いたくなるような惨敗。25日のセネガル戦は守備で粘りは見せたものの、DFのクリアミスから先制点を許して自滅した。

開催国枠での初出場だが「もしかすると」の期待はあった。19年のアジア杯では準々決勝で韓国、決勝で日本を下して優勝。内容でも圧倒していたからだ。W杯開幕前には全26人が国内組の利点を生かして、半年間も合宿したと聞いていた。試合終了前に席を立つ観客の姿が、国民の落胆ぶりを象徴していた。

思い出したのは98年フランス大会。初出場の日本は3戦全敗で1次リーグで敗退した。確かに技術レベルに差はあったが、それ以上に欠けていたのが、本気になった強豪国との、強くて厳しいW杯での試合経験だった。きっと、あの24年前の日本代表と同じ思いを、カタールの選手たちは感じているだろう。

開催国の初戦黒星はW杯史上初めてで、1次リーグ敗退は10年の南アフリカに続く2度目という不名誉。しかし、この悔しい経験は世界への“通過儀礼”でもあるのだ。何よりの前例が日本。98年大会後、選手たちの海外志向が一気に高まり、世界で腕を磨き、W杯7大会連続出場を果たして3度16強。今大会は優勝4度を誇るドイツも撃破した。これほど短期間に急成長した国は世界でも珍しい。

カタールはサッカー以外でもW杯の“世界標準”が問われている。性的少数者や外国人労働者に対する差別が日常化している国での開催に、抗議の動きが欧州に広がっている。ピッチの上でもイングランドの選手が試合前にひざをついて抗議の意志を示し、ドイツの選手は反差別を訴える腕章の着用を禁止されて、試合前の記念撮影時に全員で口を手で覆った。

信仰がからむ難しさはあるし、「スポーツを政治に持ち込むな」の声も根強い。しかし、今や「差別」や「人権侵害」は政治や国境を超えて、人類が解決しなければならない世界共通の課題。だから私は試合前の抗議のパフォーマンスを支持する。欧州各国の選手たちの思いが、少しでもカタール国民の心に響くことを今は信じたい。W杯開催で、代表チームだけではなく、国民も“世界標準”に気付くことを願う。

今春、日本サッカー協会の元会長の川淵三郎氏に話を聞く機会があった。「02年W杯開催のレガシーは」の問いに「日本全国にボランティア活動が初めて根付き、広がった。それが19年ラグビーW杯、そして東京五輪につながった」と即答した。開催国のサッカー事情にとどまらず、国民の意識も変えるエネルギーを秘める“W杯の力”。それは私たちの想像を、はるかに超えて大きいのだと思う。【首藤正徳】

カタール国旗を掲げるサポーター(撮影・パオロ ヌッチ)
カタール国旗を掲げるサポーター(撮影・パオロ ヌッチ)
カタール対セネガル セネガルに敗れ肩を落とすカタールイレブン(撮影・横山健太)
カタール対セネガル セネガルに敗れ肩を落とすカタールイレブン(撮影・横山健太)