輪島大士

この時から「貴輪」はライバル同士。大相撲入り表明後初稽古を行った日大4年・輪島(右)。出稽古に来ていた貴ノ花と22番の申し合いをし、11勝11敗の五分だった
この時から「貴輪」はライバル同士。大相撲入り表明後初稽古を行った日大4年・輪島(右)。出稽古に来ていた貴ノ花と22番の申し合いをし、11勝11敗の五分だった

大相撲唯一の大卒横綱、輪島大士。無二の親友貴ノ花と「貴輪時代」を築き、その後、北の湖と「輪湖時代」で一世を風靡(ふうび)、角界をリードした。右の引きが強く、結果〝黄金の左〟と呼ばれた下手投げを得意とし、北の湖も苦杯することが多かった。対戦成績は23勝21敗で輪島が勝っているが「運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用しなかった」と北の湖を評した。相撲界から離れ、1986年プロレスラーに転向、88年引退。その後企業のアメリカンフットボール部の総監督を務めた。タレント活動などで人気を得ていたが、2018年10月8日70歳で死去。白星が瞬く天国場所で「キリンの子(貴輪湖)時代」の幕開けだ~。

(/_;)

<大相撲・1995年7月22日掲載>