五輪開幕まであと100日あまり、普段ならば「さあ、いよいよ」と胸が高鳴るころだが、今年は少し様子が違う。いつもなら、きっかけとなるのは競泳の代表選考会。かつては「国際大会派遣選手代表選考会」として日本選手権とは別に6月に行われていたが、バルセロナ五輪の1992年から日本選手権を兼ねて4月に行われている。


当時の選考は各種目2位以内から「世界で戦える選手」を選ぶというあいまいなもの。2004年からは決勝で日本水連が定めた派遣標準記録を突破しての2位以内が条件の「一発勝負」に変わった。過去の実績などは一切関係ない。


水泳ニッポンの代表選考は「世界一厳しい」とも言われる。五輪には国際水連設定の参加標準記録があって、これを突破した1カ国2人までに出場権が与えられる。日本の派遣標準記録はこのタイムよりレベルが高く、さらに2年間のレースで認められる参加標準に対して認められるのは日本選手権決勝レースだけ。基準を満たす選手がいなければ、当該種目の代表選出は見送り。確かに、厳しい。


16年リオデジャネイロ五輪の選考では、北島康介が男子100メートル平泳ぎで2位になりながら出場を逃している。準決勝で派遣標準を切りながら、決勝で届かなかったためだ。過去の実績やチームに与える多大な影響から「特例を認めては」の声も出たが、ルールが変わることはなかった。


過去には、0・02秒足りずに五輪を逃した選手もいた。わずか3センチ届かず、4年間の努力が水泡に帰してしまった。プールサイドで泣き崩れる姿を見ながら、タイムを争う競技の残酷さを感じた。


1つのレースが、選手の人生を左右する。競泳の選考会には、そんな緊張感がある。五輪金メダリストも無名の高校生も、決勝のスタート台に立つ時の条件は同じ。わずか数分で、五輪「出場」か「落選」か、すべてが決まるわけだ。


競泳日本選手権と同時期の柔道選抜体重別も「五輪代表最終選考会」(今年はすでに代表は決定済みだけれど)。しかし、国際柔道連盟が定めるポイントが足りず「優勝しても代表になれない」選手も出る。あくまで「最後に行われる選考大会」というだけで、その時点でほぼ代表が決まっている階級も少なくない。


柔道では昨年12月の阿部一二三と丸山城志郎との男子66キロ級代表決定戦は「一発勝負」だったし、レスリングでも19年7月の川井梨紗子と伊調馨との女子57キロ級プレーオフは事実上五輪代表を争う「一発勝負」といえた。もっとも、そんな緊張感のある選考会は、それほど多くはない。


競泳日本選手権のプールサイドには、独特の緊張感がある。選手はもちろん、コーチや家族、応援する人たちの強い思いが空気を重くしている。他の競泳の大会にはない緊張感を近くで味わえるのは、記者ならでは。談笑することさえはばかられるピリピリしたムードを伝えることこそ、記者の仕事だと思っていた。


もっとも、今回は無観客の上、報道陣の数も制限されている。会場に入れる記者は1社1人。普段のプールサイドは超が付くほど密状態だから今の状況を考えれば当然ともいえる。レースはテレビで見て、会見はリモート。それが「ニューノーマル」。それでも、スタンドの応援を含めた圧倒的な熱量を肌で感じられないのは寂しい気もする。


「さあ、いよいよ」という気分にならないのは、感染拡大が止まらない新型コロナへの不安があるから。「一発勝負」のピリピリ感を味わえないことも、影響しているのかもしれない。それでも、選手たちは競技人生をかけて五輪出場権をかけたレースに臨む。東京五輪の開幕は、確実に近づいてきている。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)