スケートボード日本選手権 男子パーク決勝でプレーする平野(2019年5月12日撮影)
スケートボード日本選手権 男子パーク決勝でプレーする平野(2019年5月12日撮影)

スノーボードの平野歩夢がスケートボードで東京オリンピック(五輪)出場を決めた。もともとルーツは同じ。陸に上がったサーファーがスケートボードを始め、雪の上でスノーボードになった。日本スケートボード協会の事務所にはスノーボードが立て掛けてあるし、日本代表の西川隆監督は元プロスノーボーダーでもある。東京五輪出場者の中にも「冬はスノボ」は必ずいるはずだ。

ただ、高いレベルで両方こなすのは難しい。スケボーは足が板に固定されていない。コースも雪からコンクリートに変わる。ハーフパイプ(HP)で争う「バート」はXゲームでショーン・ホワイトが優勝したように平野向きだと思うが、五輪非採用。「パーク」はまったく違う動きが要求されるし、コースの縁を使う独特の技も必要になる。

スケボ挑戦を宣言した直後の18年末、平野は米ロサンゼルスにいた。パークで練習を見たあるスケーターは「転んでばかり。とても無理」と話していた。遊びで滑っていても、競技では高いレベルのトリックやミスなく45秒間滑りきる構成力も必要。翌19年5月に日本選手権優勝した時も、第一人者の笹岡健介との差を本人も認めていた。

「本業(スノボ)に影響する」と挑戦を疑問視する声もあった。それでも平野は挑んだ。周囲も温かく見守り、後押しをした。大会が延期され、北京冬季五輪との間隔が短くなっても、挑戦はやめなかった。「リスクもあるけれど、やる価値がある」と、その言葉に挑戦への思いがあった。そして、平野にしかできない偉業を達成した。

日本で最初に冬夏両五輪に出場したのは、2020大会組織委員会の橋本聖子会長だった。1988年当時の「二刀流」は決して歓迎されなかったように思う。スケート界からも自転車界からも批判があった。参議院議員として96年アトランタ大会に出場した時は猛バッシング。「遊びながら政治をするのか」「両方できるわけがない」。今なら確実に炎上ものだった。

かつては「二刀流」がネガティブに捉えられていたのだろう。「二兎(にと)追う者は一兎も得ず」「あぶ蜂取らず」の言葉をよく聞いた。専念しないと中途半端になり、両方とも失敗する。成功するには「どちらか」にする必要がある。夏か冬か、打者か投手か、勉強かスポーツか…。「両方」の選択は難しかった。

今は違う。「二刀流」はポジティブな響きだ。平野も、大谷翔平も、福岡堅樹も活躍している。中途半端どころか相乗効果でさらにプラスが生まれることもある。「二兎」とも得られることは珍しくないし、仮に両方得られなくても挑戦に意味がある。「どちらか」ではなく「どちらも」が堂々と言える時代だ。

新型コロナ対策か東京五輪か…。今「どちらか」という議論が盛んだ。「東京五輪をやれば、感染が拡大する」「五輪開催でワクチン接種が遅れる」…。新型コロナ対策VS東京五輪という構図ができあがっているが、だからこそ「どちらも」という考えもある。

もちろん、人命がかかわるから簡単には言えない。それでも、新型コロナ対策をしながら東京五輪を成功に導く方法はあるはずだ。

五輪開催にリスクがあるのは間違いない。ただ、五輪を中止したから新型コロナ対策が万全になるかと言えば、そうでもないように思う。五輪のリスクをどう抑え、どう国民に伝えていくか。今からでは時間もないが、東京五輪が「リスクはあるけれど、やる価値がある」と多くの人に思われる大会になってほしい。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

平昌五輪 スノーボード男子ハーフパイプ決勝 2回目の演技で高得点を出す平野歩夢(2018年2月14日撮影)
平昌五輪 スノーボード男子ハーフパイプ決勝 2回目の演技で高得点を出す平野歩夢(2018年2月14日撮影)