内村、まさかの落下! 悲鳴をあげた人も多かっただろう。団体、個人総合、種目別とフル回転した過去3大会と違って、鉄棒一本に絞った今大会。それが、一瞬で終わった。ぼうぜんとしながらも、一回りも違う後輩たちに気を使わせないように声をかける。これまで何度も奇跡を見せてくれた「キング」の信じられない姿に、涙が出た。

「自分がダメでも、キャプテンだったからね」と言ったのは、1964年東京五輪男子体操主将で日本選手団の主将を務めた小野喬だった。「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた通り鉄棒に強く、東京大会は33歳で4回目の五輪出場。今大会の内村と同じように肩を痛め「とても演技できる状態じゃなかった」と言う。

得点は伸びず、メダルは団体の金1個。それでも、痛み止めを打ちながら演技する姿に後輩たちは奮い立った。小野に憧れた遠藤幸雄が個人総合を制すなど、男子は金5、銀4個の大活躍。竹本正男監督は「小野のおかげ」、チームメートも「小野さんが引っ張ってくれた」と感謝した。

「体操ニッポン」には、継承の歴史がある。64年にエースの座を小野から遠藤が引き継ぎ、68年メキシコ大会では先人が築いた「美しい体操」とともに、加藤沢男がエースの座を引き継いだ。76年モントリオール大会まで団体5連覇。80年モスクワ大会のボイコットで歴史は途切れたが、その強さは圧倒的だった。

日本体操界は、団体を大切にする。小野も遠藤も加藤も「最大の目標は団体金メダル」と言って五輪に臨んだ。メンバーを入れ替えながら世代交代を進め、勝ち続けた。「栄光への架け橋」の2004年アテネ大会の冨田洋之からバトンを渡されたのが「キング」内村。責任を自覚しながら、日本を引っ張ってきた。

内村には、自分のパフォーマンス以上に体操界全体を俯瞰(ふかん)した発言が多い。「体操はほんと、マイナーなんで」と言いながら「盛り上げたい」と話す。後進にアドバイスし、その成長を喜ぶ。「歴史は大切」というだけに、頭には常に「継承」がある。

この日、全員が初出場の団体は予選1位、個人総合も一回り以上年齢が離れた橋本が1位で予選を通過した。悔しさを押し殺しながら「主役は彼らです」と言った。「後輩たちに伝えなきゃならない立場。キャプテンとしての仕事をしなきゃいけない」。演技が終わっても、内村の東京五輪は終わらない。「体操ニッポン」継承へ、まだまだ頑張ってほしい。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

鉄棒の演技で落下する内村(撮影・鈴木みどり)
鉄棒の演技で落下する内村(撮影・鈴木みどり)