あなたは「東京オリンピック」を見ただろうか。日の丸を振る選手たち、流れるオリンピック・マーチ、盆踊り…。どれも「東京」を意識した演出だが、なぜか遠くに感じた。海外の大会と同じ。東京と大会の間には「距離」があった。

13年9月の開催決定から8年、多くの人々が頭を使い、汗をかき、準備を進めてきた。新型コロナで延期され、開催の是非まで問われた。ようやく迎えた開幕は、すべての人に「待ちに待った」ではなかった。

街に五輪ムードはない。無観客の上に選手や関係者の行動も制限される。64年東京大会では、外国人が街にあふれた。みな驚いたというが、今大会で見かけるのはコンビニでビールを購入する報道陣くらい。パブリックビューイングは休止され、応援会など人が集まるイベントも中止。緊急事態宣言の中で、五輪ムードは広がらなかった。

日本人の活躍には心動かされた。それでも、選手と一部の関係者を除いて日本で行われていることは忘れられた。会場は多くの人にとって知らない施設。旧国立ならまだしも、今の国立競技場は新設の会場。街が最も五輪で染まるマラソンも札幌開催で、東京に五輪の風は吹かなかった。

選手も揺れた。1年延期で練習も制限され、コンディション調整が難しくなった。さらに、出場に悩む選手もいた。言葉も失った。何かを言えば、良くも悪くも影響が出る。みな慎重になる。インタビューの冒頭は「開催に感謝したい」。感情のまま発言することをためらったのか、五輪恒例の「名言」もなかった。

競技は盛り上がった。柔道の阿部兄妹やレスリングの川井姉妹ら家族の絆があった。金メダルを期待された選手が力を発揮できなくても、新しい力が飛び出した。スケボーやサーフィンなど、新競技がスポーツの新しい魅力を伝えた。それでも、どこか遠くで行われているようだった。

五輪を通して東京をアピールすることができなかった。海外からの報道陣も東京を伝えることを禁じられた。何よりも、人々が会場や街中で五輪に接することが限られた。五輪を感じる場面がなかった。こんなに寂しい五輪開催地が、過去にあっただろうか。

新型コロナの勢いは収まらない。観戦者がいなくても、感染者は増えた。大会が感染拡大に直結したとは思わないが、大会ムードが人々の気持ちに影響したことは否めない。充実感や達成感を得にくい、没頭できない17日間だった。

五輪が終われば話題の中心は新型コロナになる。それでも、2週間後には東京パラリンピックが始まる。「東京」が見えない東京大会。数十年後、今の子どもたちが成長した時、この大会をどう振り返るのか。せめて、大切な思い出であってほしい。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)