ドジさんが、亡くなった。日本サーフィン界のパイオニア的な存在だったドジ井坂さんが18日、死去した。74歳、元気な姿を思い出すと、早すぎるし、残念でならない。

「白浜、膝から腰、オフショア」。今もあの声が耳に残る。1980年代の土曜深夜、テレビのバラエティー番組「オールナイトフジ」で、女子大生たちと関東近郊の波情報を伝えた。サーフィンブームの「顔」だった。

初めて会ったのは、東京オリンピック(五輪)での実施が決まった16年。テレビで見ていたことを伝えると「うれしいなあ」と、日焼けした肌に白い歯を見せた。30年前と同じ笑顔。テレビのドジさんだった。

その後、何度も話をした。東京五輪の波の大きさが問題になると「海中に波を起こす装置を置けばいい」。とっぴなアイデアも、熱く、分かりやすく話した。サーフィンと海への深い愛を感じた。

活動がサーフィンからビーチ全般に変わり、東京五輪に関わることもなかった。それでも、サーフィン教室で子どもたちに魅力を伝え、発信し続けた功績は大きい。日本サーフィンの創成期を支えた1人だった。 昨年の東京五輪にドジさんら「レジェンド」を招待する計画があった。併催のフェスでサーフィンの歴史を展示、証人たちにも集まってもらう企画だったという。無観客開催で実現こそしなかったが「歴史」を大切にしていることが分かる。

サーフィン、スケートボード、スノーボードの横乗りスポーツは、合わせて「3S」とも呼ばれる。海と陸、雪の違いはあるが、ルーツは同じ。共通するのは「カルチャー」への強い思いだ。

北京五輪スノーボード金の平野歩夢は18日の会見で「カルチャーと競技の2つあるのが、魅力」と言った。東京五輪スケボー金の堀米雄斗は「カルチャーも競技も頑張りたい」。同サーフィン銀の五十嵐カノアも「カルチャーを大切にしながら勝ちたい」と言った。

音楽やファッション、国や順位を超えて仲間と高め合う姿勢、固定観念にとらわれない自由な発想…。「3S」には五輪の伝統競技にないカルチャーがあり、それを支える歴史がある。成り立ちや発展が、それぞれのカルチャーを形作る。

平野も堀米も五十嵐も競技での成長とともにカルチャーを守る自覚がある。先人たちへのリスペクトも強い。23歳の平野と堀米、24歳の五十嵐らが歴史を守りながら新しい挑戦をするから、3Sは魅力的に見える。

「楽しみだよ。オリンピックでサーフィンをやるんだから」。ドジさんはポジティブだったが、「五輪化」には反対もある。「カルチャーが失われる」というのだ。大丈夫だろう。若きスターたちが、カルチャーを守りながら新時代へリードしてくれる。聡明(そうめい)で、逞しく、常に命がけで真摯(しんし)に取り組む彼らには、その道がしっかりと見えているはずだ。【荻島弘一】